大人と子供

2004年11月28日 舞台裏
大人だなあと思うのは水越さん。
この前の発表会のとき出演者同士のへんな人間関係のトラブルはほとんどなかった。
みんなちゃんと自立していたらしい。
本当に私は蚊帳の外というか、無関係だったからかと思っていたけれど、本当にそうだったらしい。
「みんないい子ばっかりだったんですよ。」といわれた。
当時水越さんは高校を卒業したばかりで、大人チームでは一番年下だった。
今回の十代チームと歳は同じ事を考えると、いかに水越さんが大人かと思う。
クラスの中で、人と接するときに「好き」とか「きらい」とか「気に入ってる」とか「ちょっときがあわない」とか、そんな感情が発生していることがおかしい。と先生は言っている。わたしもそう、思う。だってただ踊りたくて集まってきている人たちなんだから、劇団みたいにみんなでやりましょうってことじゃない。
そんな感情を持っていたとしても、それを出さないのが大人なんだと思う。

ここのところ、そうやって人々のいざこざにちょっと巻き込まれつつある。
本来私は相当感情移入しちゃう性質だから、できるだけかかわらないようにしているのは確かなんです。しかも、むきになるから踏み込まないようにする。

でも、今日は朝からだめだった。
メーリングリストに「遅刻します」「寝坊しました」のメールが頻発していて、(中には時間が未定でしたが、一時間後に行かれますなんていうのもありましたが)それぞれ事情があるのはわかるんですけれど、人に影響されやすい人がそれで振り回されるのが心配になった。
メール入れれば遅れてもいいかと思われてもと思うし、又遅刻だよと思う人もいるかと思うと・・・遅刻がどうと言っているのではない。
遅刻は自己責任だからそれで失う信用もあれば、1回踊れなくて困るのは自分だし。
これは危ないよと思ってしまった。
今までの私はそんなことはどっちでもいいことだったから、私にしてはむきになりすぎ。

小道具を使う曲での振り付けのとき、先生が一つ持って振付けていた。
振り付けが突然だったので、小道具の数がちょうどだったらしい。だから、先生が振り付けで使うと、一つ足りなかったんだそうだ。それはあとから聞いたんですが。
で、振り付けの違う3チームがあって、先生はそれぞれを少しずつ振付けていた。
だから、別のチームが振付けてもらっているときに私の手元にはなかった。
で、私たちの振り付けをしてもらうとき、もともと私が使っていた小道具を先生はずっと持っていたので、私はすぐ近くの子どもに借りた。
振り付けはつけるほうももらうほうも、集中力が勝負です。先生は特にその場でかんがえて振付けるので次の瞬間にはなんだっけ?となることがあります。だから余計にもらうときに集中する。そう言われても、同じ事が出来るように集中しています。
小道具を使うときはその集中力を倍遣うかんじ。このふりつけは、子供とペアになっていたので振り付けも大変な作業のそのさなか、突然小道具を借りた子どもが私の脇にやってきて「ないからできない」と言ってきた。とっさの出来事に「今はこっちの方が大事だから待ってて!」
先生も続けて「そうよ」と言ってくれたのですが、あとから考えて、すごくきついいい方をしてしまったと思った。

その前もそう、子どもは練習しているときと、遊んでいるときに区別がつかないらしい。
ものすごく考えて集中しているときに、「ねぇねぇNaNaちゃん」と話しかけてきた。
このときは、自分でもう、どうしたらいいか分からない所を考えていたので、「今練習しているから」と言いはなってしまった。さっきまでは一緒に遊んでいたのに、急に反応が違ったことに子どもがびっくりしたのをみて近くにいた水越さんがフォローしてくれた。
「みんな研究しなくちゃいけないんだよ。出来てるの?」
私にいわれた子は、もちろんへこんでしまったので、しばらくしていちゃいちゃしに行ったのですが。

ちょっとはなれたところでやっていないと、何かにつけて、熱くなってしまう。
というより、子ども相手にあつくなりすぎ。
私が一番子どもだなぁと反省した一日になってしまった。
最近、彼は私の話を聞いていてくれる。
前は、「だから、なに?」と言いたそうにしていたのに、最近は「そうなんだ」という感じ。
やけに、優しくかんじる。
でも、ここではたと気づく。
「この前読んだ本の実践中なの?」
ちがうといいつつも、「女の人は、話たいだけだから。相談ごとも、話をするときはもう、決まっているんだから。だから違うんじゃないの?なんていっちゃいけないんだよ。そうできてるんだって」って。

で、一緒にいるときに彼が別の女性に「おっ」とか言うのをちょっとすねて見ると「そういうふうにできてるんだもん、仕方ないよ。そうじゃないと男じゃないから。それは怒っちゃいけないって書いてあったよ」
私にも実践するようにいわれているらしい・・・
日曜日の夜。
私が土日にも練習があって、なかなか彼と会えなくて、でも会いたいから練習と練習の合間に出来た時間を提案した。
「月曜日はクラスがお休みになったけど、スタジオが開いているので、自主練習に解放してもらえると思う。で、祝日は練習があるけど、時間が決まっていないから(たぶん午後からかな)月曜日の自主練習のあとから、お泊りしたいな」
彼は祝日の予定が決まったら、朝から練習の時間までデートしようと言う。
でも、私はそれじゃあ嫌だった。
練習の時間はわからないからじゃあだめだね。
そうやって、物別れみたいにして電話を切った。
やっぱりそんな都合よくは、会えないなぁと諦めた。今まで会えないのは彼の仕事の都合だったけど、今はもう私の都合。
本当に月曜日がスタジオでの自主練習なのか、祝日は何時なのかこんな間際になってもわからないの?そう言われた。

たいていそう。
ぎりぎりにならないとわからない。
真夜中に予想通りの自主練習と、祝日は11時入りの連絡が回ってきた
たとえ会えなくても、どうなったのか教えなくちゃと思ったので、月曜日の朝に「昨日はごめんなさい。こういう予定が回ってきました」とメールをしました。

午後、「今日も明日も同じ場所なら、そこでおとまりしようか。自主練習が十時までなら、その後一緒にご飯食べる?」

そんなつもりじゃなかったから、もちろん、一度お家に帰って二日分の練習の準備をしなおしました。

やれやれ

2004年11月21日 舞台裏
子供たちよりも、子供なのが大人の年下、十代チーム。

?振りをおぼえられない → 踊れない → つらい → つらいから、練習に来ても話してばっかりで踊らない → 誰かに注意される → へこむ → 練習に来たくなくなる → やめたい → やめる
つらいのが、自分だけだと思っているわけではないのに、乗り越えられないこんな図式が、なりたっちゃう。
注意されて泣いちゃうって・・・
「私の方が泣きたいよ」といっていた子もいたし。
確かに、そのこの方が今は泣きたい状況だったりするので、同情しちゃう。
つらいのは当たり前、前にも書いたけど、つらいのです。好きで踊っているのに、つらくて仕方なくなるの。どうしてこんな思いしてまで、踊ってるんだろうと思ってくるのよ。
それを乗り越えるから、終わったときに達成感があるんじゃない。

?みんなが自分の練習に打ち込む → 誰にも相手にされない → 仲間はずれになった気がする → すねる → すぐに「疲れた」という。
「疲れた」って。
疲れたなら黙って自分で好きなだけ休めばいいんだよ。
1回ずつしか踊れないんだから、それを積み重ねることしか出来ないんだから、その一回踊る時間をどうやって作っていくかなんだから、好きなだけ休めばいいんだよ。

?人がちゃんとやっていないのが、見ていて腹が立つ → 一緒にやりたくない → その場にいられない
一緒にやりたくないって・・・ちゃんとしない人に腹が立つって。
自分が踊れるからといって、その場にいなくて、練習に参加しないなら、それは「疲れた」って休んでる子と何も変わらない。むしろ人のせいにしている分だけ始末が悪いと思っちゃう。

もう、本当に・・・学校じゃないんだから、部活と違うんだから。
どうして、そんなに人に左右されるのか全く理解できない。
みんな、踊りたくってきてるんじゃないの?
まず、踊りたい気持ちで来てるんでしょ?
もう、こんな当たり前のこと・・・・訳分からない。

その人がこの三ヶ月をどうやって過ごしたかが舞台にあがる。
全部終わったときに、自分がどれだけ満足できるかは、その人々によって違う。
みんな、満足して感動するよ。でもそれぞれ違うと思うの。

一丸となるって同じ事をするんじゃない気がする。
みんなが、自分がしなくちゃいけないことをわかって、更に出来る事をやる。回りで助けが欲しそうな人のサポートをする、目標に向かってパーツの一個一個を、パートのある部分を、それが全体の中でどこなのかをわかっていて、自分なりに磨いて行くって事なんじゃないのかな?

私が十代のときもこうだったかな。
ISBN:4072265144 単行本 藤井 留美 主婦の友社 2000/04 ¥1,680

彼が「今更なんだけどつい買っちゃって、面白いよ。」
と言って見せてくれた。

まあ、平たく言ってしまえば
男性と女性は脳から違っていて、それは遠い昔男が狩に出かけ女は家を守るという生活をずっとしてきた名残だというのだそうだ。遠くに狩に行って、自分ではなく家族に食べさせるためだから、どんなに遠くに行っても戻ってこられなくてはいけない。だから自然と方向感覚帰巣感覚が身についているので、女性よりも男性のほうが地図とか道に明るい。逆に男が狩に行っているのを待っている女は、コミュニティみたいなところで集団で生活しているので人の様子に明るい。女性が脂肪をためやすい体質なのも狩に行った男性が食べ物を持って帰ってくるまで生き延びていなければならないからだとか。

そもそも男女は脳から違うので、理解しあうのは難しい。
そういうものだと思って付き合うのがお互いにいい関係を作れるという内容なんだそうだ。

彼が「おもしろい」というのは、そこに出てくるいろんな男女間のトラブルの事例が「見に覚えのあること」で、「それを外国の人が書いてる」ってところなんだって。こんな会話世界共通なんて・・・と笑っていた。

女性がトラブルの話をし始めたら、とにかく聞いてあげなくちゃいけなくて、「あなたの言っていることはもっともだけど、あちらの言う事も一理あるよ」なんて言っちゃうのは最悪なんだそうです。

だから言ってみた。

「『逢いたいね』って言うと『仕方ないよ』って言われたよ」
すると
「それは最悪ですね『そうだね』って言わなくちゃ」
そうそう、私は逢えないのはわかっているからそうだねって言って欲しいんだもの。

ちなみに男脳・女脳テストが入っていて
私は170点。
通常の女性は150から300の間、男性は5から150の間に入ってるんだとか。
点数が低いほど男脳に、高いほど女脳の傾向がつよいそうだ。
私は女性の中では低いほうだけど、彼は限りなく0に近かったんだって。
その差があるから、成立してるんだなぁと思ってしまいました。

すこしつらい

2004年11月19日
仕事以外の時間を全てダンスに費やしている。
彼にも会いたいし・・というか、彼に会いたい。

週末は会えない。
今日も本当は22時まで練習があるのだけれど、劇場に用事があったのでお休みした。
で、それならと彼と夕ご飯を食べる約束をした。
車で移動する予定だったので、彼の家の近くまで行く事にした。

予定から30分くらい遅れて到着。
二週間ぶり。
仕事帰りの彼はスーツ姿。

かっこいい・・・。

今週彼は月曜日の朝に出張先から出勤していて、休みなく二週間働いていた。
のに、別れたのは1時過ぎ。
ご飯食べて、お茶していたらそんな時間。
彼はとっても眠そうで。

会えてよかった。
でも、また、さみしくなってきた。

逢えないときが長いと、だんだんその状況に身体がなれてくる。
会いたい気持ちもつのってくるけれど、身体がなれてくる。
しかたないと、思えてくる。

けど、あっちゃうとまた一からやり直し。
そんな感じ。

自分の思い通りにならないいろんな予定が、とてもつらい。
始めは 彼からもらったネックレス。
クラスの途中ではずして、
更衣室の棚の上に置いたままにしてしまった。
電車に乗って気がついて、急いで電話して預ってもらった。
彼には「気持ちがないから忘れるんだ」と言われてしまったし。
そんなんじゃなくて、電車の時間があったからあわててたのに。

二回目はTシャツ。
脱いだまま、おきっぱなし。
ものすごく急いでいたことは確かだけれど、
自分でたたんだ記憶もない。
翌週は事情でお休みすることになっていたので、
実質10日間くらいそのままだった。
棚の端に切れにいたたんでおいてあった・・・
誰がたたんでくれたのでしょうか。

三回目はスタジオに行く途中で買ったシャンプーとリンス。
「だれがこんな物忘れてったの?もらっちゃえば?」
とか言われていたらしい。
それも電車に乗って気がついて、
地下のスタジオでも受信できる携帯を持っている子に
メールした。
次回先生からじきじきに受け取ったりして。
やれやれ。

さらに、今日クラスに行って、
バーの上に昨日の練習のときに持っていたタオルが
そこにおいてあって驚いた。
これは、忘れていたことすら気がつかずに丸1日・・・・
一人で大笑いしてしまいました。

おまけにこれらの間に、人のタオルを持って帰ったこと1回。

ここ一ヵ月半くらいの間の出来事です。

ごあいさつ

2004年11月7日 舞台裏
公演をするにあたって、いろんな人の力をお借りする。
自分で作れない衣装を作ってもらったり、
場所取りを手伝ってもらったり、
じっさい子供のママたちにまで そのほかいろんなことで、
とってもお世話になります。
最近そういった方たちが頻繁にスタジオに出入りしていて、
初めてスタジオに顔を出してくださったときには、
その場にいる人たち全員でご挨拶をします。

「衣装をつくってくれる方ですよ」
「よろしくお願いします」

「○○ちゃんのママですよ。
 いろんなことをたくさんしてくれます。」
「よろしくお願いします」

ごあいさつも、公演も初めてやる子たちは、
そこで、先生に怒られるのです。

「それはよろしくお願いしますのご挨拶ではないですよ。
 相手の人よりもたくさん頭を下げなさい。
 これから、もっとたくさんのお手伝いしてくれる人に
 ご挨拶しますけれど、そのご挨拶ではだめです。
 あなたたちがこれから生きて行く中でも
 とっても大事なことよ


このあとは、劇場に入ったときに「返事をしなさい」と言われるんだ。
スタジオでやってるときは、
振り向いたり目と目で会話が出来るから、
先生もそれほど気になっていないのですが、
劇場にはいると、本当に聞こえているのか、
通じているのかが全く分からなくなるから、そこで言われる。

「呼ばれたら返事をしなさい。」
「わかったら返事をしなさい」

こういうときに思い出す。
そう、習いごとってこういう「しつけ」みたいなことも教わるんだよね。

私は小学校3年生のときに市の教育センターの林間学校に参加して
その三日間で教わった今でも思い出す強烈なことが「返事」だった。

「呼ばれたらまず、返事をしなさい。」

そのときに、つけてもらった習慣は、今でも身についている。
病院や銀行で名前を呼ばれても、返事しちゃうもん。
返事をしている人はとても少ないけれど、年配の方が多いかな。
だから余計に大事なことなんだと気づかされる。

たぶん、これがお家と学校だけじゃなくて、
何がしかのお金と引き換えられた習い事の
いいところの一つなんだと思った。

「ごあいさつ」で、これが「習い事」なんだと思い出させられました。

プライド

2004年10月28日 舞台裏
最近は子供たちと一緒に踊ることが多い。
前回の公演のときは大人と子供は完全に分離していて
子供が踊って、大人が踊ってと言う感じでした。
子供と一緒に踊ったのは、フィナーレとカーテンコールはもちろんだけど、
大人6人にえまちゃんがひとり入って踊った「ワンピース」と
「四人組み」(これは私もキャスティングされていたのに途中で子供四人と
大人一人に代わってしまったけれど)だけだったと思う。
それが、今回は今のところ全ての曲を子供たちと踊っている。
再三言うけれど、子供と言っても私よりも大きい子はたくさんいるんですが。
もちろん小さい子もだけど。

今日の振り付けの時。
みんなで踊っていた中から、私は子供二人と、別の大人二人の五人が
上下(かみしも)に”はけ”させられた。
その間みんなは今までの振りを踊っている。
いっしょに”はけ”たえまちゃんがこそっと私に耳打ちした。

「このまま、私たちこの曲出られないの?」

まさか。
私はそんなことはぜんぜん考えていなかったけれど
えまちゃんはちょっと不安になっちゃったらしい。
案の定しばらくして私たちは再登場するのです。



「火曜日のクラスはなくなりました」そう言う連絡だった
それが、「やるひとだけ、先生から連絡があります。」がどこからか加わったみたい。

「きっとりなとかが呼ばれてるんじゃない?」

今回りなちゃんはちょっといい役をもらっているらしい。
かやちゃんのこんな言葉を普通に聞き流していたのですが
けっこうシビアな子供の世界なのかもしれない。
あとから先生が「仕事で火曜日のクラスはキャンセルになったんだよね〜」と
言っていたので本当になくなっただけだったようです。



あの子が何曲でてる。
この子は真ん中で踊ってる。
後ろで踊れって言われた。

きっと子供たちの中にそんな気持ちが渦巻いているんだろう。



振り写しをしていると、微妙なところでトラブルが発生する。
手のむき、体の角度、カウントの違い。
顔はどっち?

ふりつけのときには「こう」だった

と言い切った者勝ちなのですが
でも多数決になっちゃったりすることもあります。

今回はカウント「4」でかがむのか
つぎの「1」からか。

前回のクラスのときに、妙に向こう側で踊っていた人たちが
早くかがんでいたのが気になった。「4」でかがむと覚えた人たち。
えっ?「4」?
これは「1」じゃないの?
それは、向こう側とこっち側で踊ってる人たちとで違っていた。
振り付けのとき、何処で踊っていたかで違っていた。

で、向こう側の子が子供たちに振り写しをしたので
「4」でかがむ振りがうつされていく。
こっち側で踊っていた5人くらいは変だ変だと言っていた。
で・・・振りうつししている子にちょっと言ってみたら

「4です!」

「4だって。すごい言い切られちゃったよ。」
こっちに戻って言ったら、一人の子が
「絶対に1だよ。くやしい。絶対に1なのに」
私としては、そんなことは結構あることで
じゃあそれに統一しようかと言うところなんですが。

ぜったいにこうなのにと思うことも、踊り易くアレンジしちゃう人が多くて
結局は多数決みたいになったらかなわないのです。
だって、先生がそんな「千手観音」みたいな振りするわけないよと思うのに
言い切られたこともあるし。
でも、みんながそうだっていうならそうなっちゃって仕方ない。
直せる人が直せばいいので、けど、その子は本当に悔しがっていた。

で、その曲は、輪唱みたいに少しずつずれて同じ振りをすることになり
その子と私は同じチームになり、私たちはしらばっくれて「1」でかがんで踊っています。
結構おかしい。くっくっく



それぞれのプライドが交錯するスタジオの中です。
剛之君は近所に住んでいました。
剛之君のお母さんにピアノを習っていました。
剛之君が生まれたと聞いたとき
ほとんどいっしょにもたらされた状況に
祖母が「かわいそうに」と言っていたのを覚えている。
でも、祖母に聞いたのは「目が見えなくなった」ことだった。
ほんとうはもっと怖い病気のために
「目が見えなくなった」と知ったのはもっとずっと
私が大きくなってからだ。

いとこと二人でピアノを習いに行っていた。
私たちはあまり熱心な生徒ではなくて
年中いろんな理由をくっつけてはサボっていた。

休止したりしていたけれど、剛之君が少し大きくなったころ
私たちはまた、通うようになった。
まだ小さい剛之君はお母さんの目が届く範囲にいつもいて
もちろんレッスンの最中も同じ部屋で一人で遊んでいた。
レッスンが終わると、先生と三人でお茶を飲みながら
少し話をする。
その間剛之君は、やっと使えるようになった自分のおもちゃを前に
今私たちが弾いた練習曲をすらすらと弾き帰す。
私たちが一週間かけて練習してきた曲を、楽譜も見ずに弾き帰すのです。

その剛之君が小学校に入学するときとても大変だったと
お母さんは、まだまだ子供の私たちにも熱心に訴えた。
幼稚園から一緒のご父兄の方たちの心強く力強い後押しで
普通の小学校に通うことができたととても喜んでいた。
でも、そのうちに私たちはまた
レッスンに通えなくなってどうしたかなと思っていた。

気がつくと剛之君が大きなコンクールで賞を取ったと報じられた。
「梯剛之」最初に名前を眼にしたときの衝撃は相当なものだった。
小さいときから音楽の才能があるんだと思っていた私たちは
なるほどとも思ったけれど。

普通の中学校には通えずに、外国にお母さんと住んでいること
私たちが通ったお宅にはもうなくて
別の県にお父さんと、お兄さんとお姉さんが住んでいることが
その時出演していたいろいろなテレビを通じてわかった。

一度楽屋まで遊びに行ったとき
懐かしい気持ちになって喜んでくれたのは
お母さんのほうだった。

街中のホールに「今後の予定」で、張り出されているポスター。
今日は新しいCDが発売されると新聞で読んだ。
時々目にする剛之君の活躍を、なんだか誇らしげに思っています。
読んでいる小説がが面白くて途中でとまらなかった。
スタジオにはいって、更衣室で着替えた後
クラスが始まるまでのわずかな時間でさえ
止められなかった。

「今日のクラスは入れる人は7時から入ってください。」
そう言われていたので今日は子供たちと一緒だった。
むさぼるように本を読んでいる私にりーちゃんが
「NaNaちゃんって本読むって感じだよね。えらいよね」と言ってきた。
「だって面白いんだもん」そう答えるしかなかったけれど
なんか、会話がかみ合ってない感じ。

そう言えば、中学生くらいのときって
「本を読む」とか
「図書館に通う」って"まじめな子"に限っていたし
「えらい」って感覚だったなぁと思い出した。

本を読む楽しさを知ったのは
もしかしたら大人になってからだったかもしれない。

なんだか、「本」ってハードルが高かった気がする。
でも、それはきっと「本」と「感想文」が一体になっていたからなんじゃないかと思うの。
夏休みの宿題、何冊読んで読書感想文。
「解説」を抜粋したりしたっけ。
本をたくさん読ませようとして、かえって読書のハードルを高くしているような気がする。

この中から何冊なんてリストがあって
日本文学や西洋文学の典型的なものが並んでいた。
その時期にそう言うリストを目にしているから
「文学の典型」とか「芥川」と聞けば「夏目」と言えば「太宰」だ「宮川」・・・
読んではいなくても小説のタイトルが浮かぶのかもしれない。
自分の好きなジャンルも知らなくて
何から読んだらいいかわからなくて
そんなときにはあのリストが必要なのかもしれない。

でも、今本が面白くて寝る間も惜しんで読んだり
わざわざ図書館に通ったりしているのに
「生徒のとき」にはちっとも興味がなかったり
逆にめんどくさいものだったのって何でなのかと思うと
やっぱりあの「読書感想文」じゃないのかなと

気持ちを言葉に表すことと
本を読んで感じたことって別のことじゃないのかな。
だって、ぜんぜん面白くなかった本だってたっっっくさんあるけど
読書感想文には「途中であまりの面白くなさに先が読めなくなりました」とはかけないもん。
私は実は「村上春樹」と「吉本ばなな」は体質に合わない。
なんも面白いとも思えない。
とりあえず「吉本ぱなな」は読んだけど、私の中は何もゆれなかったし
考えることもできなかった。
「村上春樹」ははじめの10ページから先に進まない本があって
それ以来手にしていない。
だって、その本何度チャレンジしても結果は同じなんだもの。

そういう感想を先生たちは認めてくれるのでしょうか?
私たちはすれ違いつづけている。
たぶん、先週の火曜日に電話で話をしたあと、1日にメールを1回やりとりするのはいい方で、それすらもなく今まで来ているはず。
日曜日くらいから、彼は私が練習がないのをみはからいつつ、私は彼がホテルの部屋に戻っているかどうかをみはからいつつ、今日まで来てしまった。
台風のさなか、でさえ、彼は一度電話して来てくれたけれど、そのあとは知らない振りだし。

思い出す。
まだ二人が会う前。
一度電話をした後。
10日間くらい間があって、彼からなんどか、電話をくださいと、メールが入っていたけれど、結局すれ違い続けた。
あのときと同じ状況。
本来の自分たちの生活パターンは、結局合わないということなんだと思う。
今のまま、お互いに合わせようと思わなければ、絶対に合わないと思う。
だから、だから私はその次を考えたいのに。

クラスの一大事

2004年10月21日 舞台裏
「緊張」がちょっとわかった。
それから、私は絶対に抜けられないということも。

先生にどう接したらいいですか?どうしたらいいですか?
そう聞かれても、私は判断できなかった。
だって、何のことかぜんぜんわからなかったから。
私の判断は「今日は先生には触らない」だった。
今日の先生の機嫌は最悪で、とても仕事のことも、クラスのことも余計なことは受け付けない雰囲気だった。

クラスのあと、みんなで先生に謝りに行った。

先生の怒りは「信用がおけない」そういう内容だった。
私自身は「信頼にたる」行動を取っていない。
それは、急にはいる仕事などで、「行かれる」と言っていた練習をキャンセルするから。
だから、逆に練習中に発生する仕事に関しては、その場で全てを終わらせたかった。
今回の緊張の『発端』はそこの部分で頼まれていた仕事と直結していた。
でも、完全に練習に参加できないことは、はじめる前からわかっていたことだったし、そういう話で参加を表明していたし、私としては精一杯のことをしているし、それでも「信用がない」と言われればこれ以上は続けられない。
だから「何を考えていますか?NaNaちゃんがどう考えているのか教えてください。」そう先生に言われたときは正直に話した。

「もう少し考えてみる」と

「それぞれ仕事も持っているし、学校もあるし、全ての人がいろんなところに折り合いをつけてやっていることだから、私だけがそうではないので、それは理由にならないけれど、私が急にこなくなったり、人よりも練習に出られる日にちが少ないことが、『発端』に通じている。私自身が、そう言う事情を抱えているので、(気持ちの上で)真ん中で仕事をしたり、踊ったりしていないことを自分にも人にも納得させることで私は責任逃れをしているのだと思うし、そのことで人に迷惑がかかるなら、私はもう少し考えて見る必要があると思う。」

先生が「できればもう、大人はやりたくないと言うのが正直な気持ちです」そういった時、私はまさに同じことを考えていたから、ますます正直になった。
本当にめんどくさくなっていた。踊ることのほかに変なところで気を使ったりしなくちゃいけないのならば、もうやめたい、抜けたい。そう思っていた。

それが、先生には通じた。
通じちゃった。先生の話の内容が少しずつ変わってきた。
発端は私も責任がある。
でも、実際はもっと別のところだった。
「土足でずかずかはいってくるようなことをされたくない」
はじめは何のことを言っているのか全然わからなかった。
直接今回のこの緊張の責任があるのは別の子。その子が強引に先生の中に入って行った。それは、いろいろな意味で。だから、先生はそれをしないようにのりりんにその子に言って欲しいと言っていた。
でも、のりりんは本人には伝えなかった。私は、それが、今回の本当のところなんだと思う。

私は電車の時間があったので、途中で帰ってきたのですが、後から聞いたら「それぞれ、よく考えてください。」そう言われてみんなは、どうしていいかわからないままだったようです。
先生は、私に状況を説明する、それも目的だったのか、結果的にそうなったのかわかりません。
でも、「端にいるつもりかもしれないけれど、もっとちゃんと真ん中にいてよ。」そういわれたような気もしました

たしかに、先生が思ってることを理解できるのはほんとうに私だけなのかもしれない。
関東地方は、夜中が暴風域に入るらしい。

三時過ぎ、珍しく彼からメールをもらった。
(めずらしい、珍しいって、何度も書いていると思った方。
珍しい出来事だから、つい、書いちゃいますが、私にとって彼からのメールって、「あまりないこと」と思ってるんですって言うかここに書くだけしかないのです。それって少ないでしょ?)

「飛行機が欠航になったので新幹線に乗ったけれど、今京都。動きません」

一時間後再び受信。よっぽど暇らしい。

「一時間近く動きません。このまま京都に泊まらなくちゃいけないかな?飲みすぎちゃうよ。」

またもや電池切れの私は、帰って来てから彼に電話をかけたけれど、つながらない。

ご飯を食べている間に電話があったみたいだけれど
今日は京都に泊まるらしい。
泊まるところは見つかったのかな?

心配です。
今日はダンス関連や、自分の仕事関連で
結構な数のメールを仕事中に送受信していた。
受信だけならともかく、送信までできるんだから、
本当にいいところだと思います。
おまけに、この日記も時間中に書いていたりします。
(もちろん、そんなこんなもできないくらい
忙しいときもありますけれど)

夕方に受信したメールは、彼からだった。
日帰り予定の出張が急遽一泊になったそうだ。
最後に「今日は話せるかな」で締めくくってあった。

先週金曜日から出張にいっていた彼が、
日曜の夕方「今から飛行機に乗る」とメールを送ってきてくれた。
おまけに、帰宅予定時間までいれて。
でも、私は練習中で、そのメールに気がついたのは
予定帰宅時間の少し前。
返信はしたけれど、家についてから電話をかけてみましたが、
お疲れの彼はすでに夢の中らしく。
そして、昨日はクラスの日だとわかっているからか、
メールも電話もなかった。
実際家に着いたのは1時過ぎだったから、
それから話はできるはずもなく。

いつもは私が送る内容のメール。
珍しいこともあるもんだけど、
彼も私と話したいと思ってくれてるのならとてもうれしい。

そして、やっぱり話せませんでした。

先生の孤独

2004年10月18日 舞台裏
はやくも、Studioは緊張に包まれています。
始動してから時間が経っていないので、「早くも」という表現だけれど、実はもう三ヶ月前をきっているのでちっとも早くない。
まとめ役をかってくれた のりりん は、前回のときは わりと外側にいた子だったけれど
そのときまとめ役をやっていた子が ひたすら先生に怒られていたのを見ていたためか
「たくさん怒られます」と言いながらがんばってくれている。
そう、先生の身近でいちばん怒られ役。大変な役。

練習の場所取りに奔走してくれている人もいる。
その人がいないと練習にならない。

子供のクラスのアシスタントに入っている人もいるし。

私は今は 振りもみんなに追いつくのが精一杯。
今のうちに固められるところを固めておかないと、会計係は後半大変になってくる。

でも、いちばん大変なのは先生。
もちろん、先生がいなくちゃ成り立たないのもありますが、
みんなの目の前でのりりんを怒ったりすると、
のりりんに同情的な人がたくさん出てきて。孤独に拍車がかかる。
前回の発表会のときももそうだった。
前回はものすごい修羅場になったときに、私は三週間くらい仕事で缶詰になっていて全てが終わったあと、げっそりした顔をしてひょっこりみんなの前に出た。
みんなが「NaNaさんがいない間、大変なことがあったんだよ」とそれぞれに言われて、「NaNaちゃんはいっつも大変なときにはいなくてのんきなんだ」と先生にも言われていた。
でも、実はそのとき、仕事で缶詰になりながらも、先生の話を真夜中何時間も聞いた。
もう、何日も徹夜で少しの時間も惜しいときに、そんなことをやっていたのを、誰も知らない。

私が、先生とのパイプ役なんだとみんなが思っていて、
今回のこの緊張感のなか、すがるように見つめてくる。
みんな勘違いしていて、この前は離してくれなかった。
でも、先生の話を聞くことしかできない。
私は今までそれしかしていない。

たぶん今、先生はとても孤独に戦っていると思う。
しばらく会わなくて
我慢できているのに
1日一緒にいるともうすぐに会いたくなっちゃう。
せっかく会わないでもいられるようになったのに、1日で元通り。
「めぐちゃん紹介して」

一緒に踊っている中学生のめぐちゃんがかわいいと彼に話たら言われた。

「発表会のとき紹介してくれる?中学生良いなぁ〜。
もう、何でも教えてあげちゃう。」

あら・・変なおじさんになってるよと思いながら聞いた。
「なに教えてあげるの?」

「世の中のあらゆることを」

・・・もう・・・・本当におやじの発言になってしまっている・・・
「こんな危ないおじさんにあんなかわいい子を紹介なんかできません。」

そう言うと驚いた声で

「ほんとに危ないと思ってるでしょう。信じてないの?」

「うん」

更に声が高くなって
「うん?うんなの?」

ほんとうは、信じている。
彼は私に一途であることを望んでいるのと同じくらい自分もそう。
出張に行っても、食事のあとに行くのはパチンコ屋さんだと思うし、
女の子と一緒にお酒が飲めるところには興味がない。
一緒にいるときやたら女の子に目が行くけれど
きっと私の反応を面白がっているだけなんだと思うし
一緒じゃないときは目も行かないんじゃないかな。

で、ちょっと聞いてみた

「私は信用してもらってるんだよね」

このときの彼は、本当に思いもよらなかった言葉だったらしく、驚いた顔をした。
ぎょっとした表情だった。
彼の反応に、あわてたのは私の方で。

「わたしのこんなで、信用してないわけないよね。」

もう、わけがわからない。
彼に対する私の様子に、何の疑いも持つわけないよねと。

「女の子はわからないよね。こわいよね。」

彼の口からそんな言葉が出てきた。
私はいけない言葉を口にしちゃったのかしら?
三時過ぎに携帯の電池の残りが
とても少なくなっている事に気がついた。

先輩とご飯を食べに行く予定だったので帰りまでにもたないと思ってこちらからのメールを送ると電源を切っていた。

食事が終わって帰りの電車で彼にメールを送ったら
途端に彼からのメールを受信して。

読んでみても話がかみ合わず



と思って時間を見たら
同時にメールを送りあっていた。

同じ瞬間にお互いの事を考えていたのかと思うと
とてもとてもうれしい気持ちになりました。
クラスが終わって スタジオを出て。
メールを受信している事に気がつく。

「ただいま
 ホテルに戻りました
 今神戸
 今日は練習かな」

前はクラスが終わったときに
彼のメールを受信しているかどうか確認するのが好きだった。
他の日はともかく
クラスのときはたいていは 何かメールをもらったから。

久しぶりに彼からのメールを受信してうれしくなった。
あいていたら電話ください の催促メールなので
早速かけてみました。

車を路肩に止めてしばしの 電話。

いろいろ考えるけれど
彼とコミュニケーションが取れることを素直に喜ぶ

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