怒りに任せて

2006年11月13日
言葉は難しい。
本当は何があったのか、大げさにもするし、簡単にもする。

「金銭を要求するいじめ」って「恐喝」じゃない。
「暴行によるいじめ」って「傷害事件」でしょう?

「いじめ」と言う言葉で、こどもたちがやっている犯罪行為を簡単なものに済ませないで欲しい。

*〜*〜*

「いじめ」は異質なものを排除することらしい。

けれど、みんな自分が「特別」で「変わっている」存在である事を望んでいる。らしい。
「自分は変わっている」と思いたいんだそうだ。
私は自分が「もっとも平凡な人間だ」と、「普通」を絵に書いた人間だと思っているから、「私は変わってるんだ!」とアピールしているふつうの人には、驚きを隠せない。「いいや、あなたは私ほどじゃないけれど、充分にふつうの人ですよ」と。
だいいち、変わってる人はそんなアピールをせずとも変わっているんですけどね。

そして多と違う人は「いじめ」にあっちゃうんだ。

「個性」を表現したくてみんなでおんなじカッコしちゃうのと同じなのかな。
なんかへんじゃない?

*〜*〜*

上手く言えない。
町中の落書きを根気良く消し続け、割れたガラスを修理し続けて、重大犯罪の発生率を減らしたように、実は「いじめはいけない」と声高に叫ぶよりも、もっともっと、効果的な何かがあるような気がしてならない。
一見まったく関係なさそうなことで、そして、根気はいるかもしれないけれど、簡単な事で、「いじめ」をなくせる何かが。
「いじめ」を楽しいと、したいと、思えないくらいに心が豊かになる何かが。


*〜*〜*

とにかく、何はなくとも、いま自分の命の灯を自分で消すことはしないでほしい。
自ら生きることをやめてしまう子供達の報道に心が痛い。
一年間しか持たない予定の車の駐車場が、今の彼の悩みの種。
自分のうちに駐車場はあるけれど、お母様に「車を二台って、どういうこと?」と一喝されて停めさせてはもらえないらしい。
車庫証明の都合もあるし、とりあえずどこか見つけなくちゃということで、不動産屋さんをめぐることに。
不動産屋の外側のガラス面に張ってある物件案内をここ一ヶ月くらい見ていて、不動産屋を二件に絞り中に入ってみた。
よさそうなところをそれぞれ紹介してもらって、場所を見てみることにする。
基本的に、家から歩いていかれないと意味がないので、歩いて行動することに。
うろうろしていると、一軒の不動産屋さんから、電話が。
自分のところで扱っているものではないけれど、めぼしいものがあるからと連絡をくれた。
なんと、そこは彼の家のすぐ近く。
値段は少々高いけれど、即決してしまいました。

彼のたくらみは、きっとここをいくらで借りていると家で話すとたぶん、なら同じ金額かちょっと安く自分の家に停めさせてもらえるんじゃないかと。
まあ、とにかく駐車場が決まったので、あとは納車を待つばかり。
というか、取りに行くんだけど。
前にも書いたかもしれないけれど、私には同い年の同性のいとこ
Yちゃんがいる。
Yちゃんとは、子供のときからずっと一緒。
お互いに親が共稼ぎだった事もあって、二人とも祖母に預けられて育った。
姉妹じゃない。昼間どれだけ我慢させられても、夜は自分だけのママが帰って来た。母が姉妹だったからか、私に買ってきてくれたモノは、Yちゃんにもおそろいで買ってきてくれたし、Yちゃんのママも同じだった。色違いでおそろいのモノをたくさんもってた。

小学校に入って、当然同じ学校だったけれど、同じクラスになったのは5〜6年の二年間だけだった。低学年のときは別のクラスにしてくれと親が頼んでいたらしかった。

小学生位のときから、だんだん自我が出てくる。
同じクラスの中にも、「あの子わがままだから」と敬遠されている子は、いた。
けど、私は「わがまま」ってなんだろうと思っていた。私の思い通りにならないからわがまま?じゃあ、そう思う私がわがままじゃないの?う〜ん、わからない。たしかに、強い子だけどそれをわがままと言い捨てる人のわがままが、見え隠れした。そう思う人が、多いだけで、あの子が一人で「わがまま」になっちゃうのも変だな〜。だから、その子とも普通に遊んでいた。

たぶん、私は絶対に仲間はずれにはならない。
当時そんな計算はできないし、思ってもいなかったけれど、今となって、私にはそんな強い味方がいたと知る。
私にはいつでも絶対に「私」を認めてくれる人がいた。
信じてくれる人がいた。Yちゃんがいた。

Yちゃんとは中学校は別だったけど、高校は一緒だった。
後になって聞いたけど、私には変なうわさがあったらしい。

「あの子真面目そうに見えて、実は渋谷とか吉祥寺とか夜な夜な遊びあるいているらしいよ。」

それを聞いたYちゃんが即座に否定した。
「そんなこと絶対にないよ。」どうして言い切るのか不審に思った友達に「だってあの子私の従姉妹だもん」とかばってくれていた。後から聞いて、驚いた。
けど・・・実は夜な夜なじゃないし、遊びあるいてもいなかったけど、高校生のとき大好きだった先輩が出るライブハウスに追っかけに行っていたのが渋谷だったり吉祥寺だったりしたのを、さらにそのあと思い出しまして、まんざらデマでもなかったなぁと思ったのでした。渋谷はともかく吉祥寺に夜な夜なってのもないなよぁと・・さすが・・・郊外だなぁ・・・吉祥寺も郊外だし。とか、デマとかじゃなくて

だから私はいつでも、とても身近につよ〜い味方がいた。
たぶん、Yちゃんにとっても同じだったと思う。

「いじめ」はするほうにも、されるほうにも、そして見てるだけと言う立場にもならなかった。
きっと私達は、「ずる」だったんだと思う。
私は私の周りにも「いじめ」は存在させなかった。
何があっても「みんなで仲良くしたい」と言う主張は曲げたくなかった。学級会で、あっちとこっちに分かれて言いあってる中で
「あんたはどっちの味方なの」と責められた事もあったけど。
たぶん半分のひとには嫌われていたと思うな。
正論って嫌われるもん。

*〜*〜*

そんな私も女子大に入って、仲間はずれにはなってるんだけど、その頃は既に、というかもちろん、「人は人」「私は私」が、確立出来ていたので、なんとも感じていなかっただけなんですが。
それこそ後から考えて、私、中途半端にかわいく「見えた」らしいから、女子大の自尊心パッチリの年代の女性だらけの中で、いじめにあってました・・・・。気がつかなかったけど。
誰が見ても綺麗な子は、その対象にならないの。
かなわないと思えるからなんだよね。けど、私は・・・

そりゃちっちゃいし、華奢だし、かわいいさ。
でも、どうしてみんなあの子がいいって言うの?

っていう、へんな嫉妬の渦の真ん中に巻き込まれてたようです。
それほどモテテなかったのに。
鈍感も運が良かったのかな?

*〜*〜*

だから何とかじゃなくて
そういう人生をあるいている人もいると、ちょっと主張したくなった。
いじめる人にも、いじめられる人にも、見てるだけでもない人もいたと。
みんなが、自分ひとりで闘っている中で、たしかに「ずる」だったと思うけど。
だめ?かな?

*〜*〜*

そんな私も、仲間はずれは知ってる。
もう一人同い年の同性のいとこKちゃんがいる。
Yちゃんとはずっと一緒だったけど、Kちゃんは少し遠くに住んでいたので時々遊びに来ていた。
Kちゃんは私とYちゃんがずっと一緒にいるのが、うらやましかったし、怖かったのかもしれない。
私もYちゃんも、三人で仲良く遊びたかったけど、そうはならないことが多かった。
Kちゃんが来ると私は仲間はずれになることが多かった。
それは、本当に物心つく頃からそうだった。
母は、そんな私を気にしていたようだったけど、私は「Kちゃんはたまに来るだけだからいいんだよ」といっていたとか。私は覚えてないけど。
Kちゃんは大人の前ではとっても良い子だったから、私が何を言っても仕方ないと思っていたところもあったと思う。
「Kちゃんは、大人の前と私達といるときでは、全然違うんだよ」と母に言っていたらしい。それも覚えていないけど。
小学校に入学する前からの話です。


いじめてしまう怖さも、いじめられるつらさも私は知らない。
そんな私が言ってもだめなんだろうけど、
全ても子供達に、Yちゃんがいればいいのにと思う。
そうすれば、たぶん「いじめ」ってないのかなと思う。



*〜*〜*

昨日書いて、消したけど
やっぱり書いてしまおうと思った。

いつでも消してしまえるし。
私達のこの経験が、どこかで誰かの役に立たないかなと
何かの 取っ掛かりに、ヒントになればいいなと思う。

孤立無援だと思って、命を絶つ子供がいなくなることを、本当に願っています。
絶対に
ぜぇぇぇぇっっっったいに違うと思った。
だから、もちろん
教えてもらったとおり
プリントアウトもした。

家のプリンターから出てきた画像は、パソコンのモニターに映っているものと同じだった。

で、

ほれほれ違うじゃん。
やっぱりさぁ、「0」と「1」の世界はだませないしぃと思いながら「B」のマスをちょきちょきはさみで切って。切ったときは違っていた。たしかに。4辺の最期の辺を切るまでは。
切り終わったら、ぽろっっと落ちてしまったので、「A」のマスと比べようと拾ったら・・・・

急激に色が変わった・・・・

同じ色になってた。
うっっっっここまでやっても信じられない・・・
こんなに騙されちゃうの?

・・・・

初体験

2006年10月18日
1ヶ月くらい前から咳がとまらない。
つい先日やっと病院に行って、薬を処方してもらった。
昨日くらいから飲み初めて
飲むと足がむずむずして気持ち悪かったり
だるかったりする。
薬を飲むと体調が良くない気がする。

副作用?

薬を飲んでこんなことになるのは初めてで、戸惑っています。
もう少し飲んで変わらないなら、先生に相談しなきゃ。
「乙一」に興味があったけれど、なんとなく読まないでいたとき、人に勧められて、けれど「最初にこの本は読まないほうがいい」といわれたものがあったりして。
結局友達に聞いたら、お勧めリストを作ってもらいました。

取っ掛かりとしてよいものを教えてもらって、私はすっかり乙一ファンになってしまったので、ちょっと激しい内容のものも、そうでないものにも、彼の作品の根底に流れている「想い」に共通するものを感じるので抵抗なく読めるようになりまして。
彼に勧めたら、早速何冊か自分で購入して読んでいました。
彼も気に入ったようでした。

「死にぞこないの青」を二人で読みました。

*〜*〜*

小学生があることをきっかけに新卒の担任教師から集中的に「しかられる」ことになる。
何でも彼のせいになり、クラスの中でもそういう空気が広がっていく。
それは精神的なものだけにとどまらなくなり・・・

*〜*〜*

つい昨日夕食のときにこの本について話をしたばかりでした。
彼は「でも、あんな先生、いないよね」と言っていたけれど私にはそうは思えませんでした。
「けど、以前自殺しちゃった子で、クラスで"お葬式ごっこ"をしていてその中に先生も混じっていたこととかあったらしいよ」と反論したのですけれど

まさにその頃、ニュースになっていました。

やっぱり、こういう教師はいるんだ。
たぶん、それもそんなに少なくないはず。
もう、私が子供の頃とは環境も、教師も親も全く変っているのでしょうけれど、変っているからこそ、少なくないんだろうなと想像できます。
あの頃だっていじめって全くないわけじゃなかったと思うけど(私の周りにはなかったけど)どこかで、みんながすべての人に敬意をはらっている部分があったと思うのに、いまのいじめって「全否定」のような気がする。
どこかひとつがダメだと、「×」の烙印を押されちゃう。押しちゃう。
だからこそ、子ども達に背中を見られているんだと、すべての大人が実感しなくちゃいけないのかも。
道は車道側、扉は開けてくれる。
店にはいると、奥の席か景色がいい方に座らせてくれる。

そして、エスカレーターに乗るときはいつも下側に乗る。
もし私が落ちても大丈夫なようになんだそうだ。
手をつないでいても、下るときは自分が先にさっと乗るし
登るときは先に乗るように促される。

ところが今日、気がせいている彼は登りのエスカレーターに先に乗ってしまった。
あら、珍しい・・・と思っていたらつないでいた手をぎゅっと握った。
そしてそれはエスカレーターを降りるまで続いた。
なるほど、落ちないように気を使ってくれてる。

なぁんかね、すごくうれしくなって
そして、やっぱり彼のことが好きだなあと実感してしまった。
昨日の朝は、5時だった。
できれば、いつもの通り6時くらいに食事にしたいところなんだけど、以前失敗したことがあるので、ごんすけが起きたら、外に連れて行かないとダメかなと半ばあきらめ気味。
けど・・・
今朝も気配で目が覚めたら、なんと4時だった。

4時!

いくらなんでも早すぎる。
今度は、私の気配で彼が起きてしまった。

「どうする?連れてく?」

すぐに聞いてくれたけど・・・
やっぱり、ちょっと早い。
ごんすけの食事は朝一回っきり。その一回の食事を4時にするのは躊躇われる。
様子を伺いつつ、寝たふりをしてみることにした。
あくまで、様子を伺いつつ・・・おトイレの雰囲気を醸しだしたら、すぐに連れ出さないといけない。
私たちが一度起きたのを、やつはわかっているので、遊んで攻撃が始まりそうなところを、こちらが「遊ばないよ」と伝えなくてはいけない。しばらく、遊んでほしそうにうろうろしていたけれど、そのうちあきらめたのか自分のスペースに戻って横になりはじめた。その様子はまるで「やっぱりだめか」な感じ。

やれやれ、まんまとこちらの思うような展開になりそうだわ。
ホッとして、再び眠りについた。

次に起こされたのは、ごんすけの為に早起きをしようとしてセットした目覚ましにだった。
しかも、ごんすけもその音で目覚めてしまった。

やれやれ。
朝、5時。
気配で目が覚めたらごんすけが部屋を徘徊していた。
あわてて彼を起こして、着替えて顔も洗わず、髪だけをまとめて外に連れ出す。
まだ夜明け前で暗い。
外にでたとたん排泄を始める。
間に合った・・・ほっ
「これが嫌なら、犬は飼えないよね」彼の一言に救われる。

ごんすけにとって唯一の食事もこの時間。
小1時間外で過ごす。
いつの間にか日が昇って明るくなっていた。
「早起きは三文の得」な気分のさわやかな朝を味わいました。

部屋に帰ってもう一度寝ちゃったけど。
久しぶりのごんすけ連れ
久しぶりに、ごんすけを連れて旅行に出かけた。
前日雨の中の散歩を終えて、母がごんすけのシャンプーをしておいてくれた。
今回、母が北海道旅行に行くので、その間ごんすけを連れて旅行しようという計画だったので
母も手助けしてくれた。
前日までの台風かと思う雨がすっかり北に向かって、快晴!
雨の中のごんすけ連れの旅行はしたことがないし、ちょっと気が重かったのでホッとしました。

いろいろ仕度が手間取って、予定より大幅に遅れて彼と合流。
彼はオープンテラスの喫茶店に陣取って待っていてくれた。
私の車を見た彼は、荷物をその場に置いてごんすけを車から降ろす役目を買って出てくれた。
「歩かせておくから、注文しておいて良いよ。」
「いつもの手順」とばかりにリードをつけたり、水を用意したり。
私は店で犬連れならと、オープンテラスとは別の、外の席を指定されて、彼の荷物を移動させた。
やはり犬を連れていると、犬連れの人と挨拶し、会話する。
彼は、たぶんこれも好きなんだと思う。
初めのころは、「人見知りだからあなたの係」とばかりにちょっとはなれたところから見ていた彼だけれど、今回は自分でも会話を楽しもうとしている様子。
さらに予定を大幅に遅れて、出発しました。

出発してほどなくして、彼に異変が・・・
目に何かが入り、コンタクトをしている目から異様に涙が出てきました。
運転を代わり、コンディションを整えていると、彼の手から何かが落ちたのが目の端にうつりました。
「何か落ちたよ」
そんな、何かって言うものでもなくそれはコンタクト。
近くのコンビニの駐車場に緊急ピットインして探し始めましたが・・・・・

車の中で落ちたのだし、落ちた様子もわかっているのだし。
探すこと小1時間。
こんなところにあるわけもないというところまで探したのに、みつからない。
結局彼の「あきらめよう」の言葉を20回くらい聞いてやっとあきらめて車を発進させました。
彼はかなりショックを受けていた。そりゃそうだ。
けど、私もかなり悔しい。前にも書いたけれど、子どものときからコンタクトを捜し続けて何十年。
みつからなかったことなどないのに。

携帯を海の中に落としたり、コンタクトをなくしたり実は方角が悪いのかしら?

途中海ほたるで休憩したり、いつも立ち寄るお食事どころが、いつもまにかペットお断りになっていて
呆然としたり、何度か休憩をしてホテルに到着。
ごんすけオーナーの彼はごんすけの心配ばっかり。
ホテルで食事はついていないから、夕飯をどうしようかとか、ごんすけを連れて行かないといけないから
どこで食べるか、何を食べるかはとても重要な問題でしてしかも、いつもの散歩の時間頃に外に連れ出して排泄させないといけないし。結局は、「ODOYA」でお惣菜やサラダを「茂八」でお寿司を買ってきて部屋で食事をするのですが。

ふだんはいっしょに食事をしたりしないので、そばで食事をしていてもこんな感じです。
すごい
すごい雨が降っている。

明日から
二泊で千葉に行くんだけど。
それもごんすけつれて。

だいじょうぶなのかしら?
また千葉に行く
今度はごんすけと一緒。
彼はCDを作ったらしい。
つけてもらった、音のいいCDは大活躍!!
沖縄の日記を書くのに、画像をいれようと思ったのだけど
大きすぎるのか、できない
う〜ん。
残念

画像を小さくすることができました。

できた

2006年9月28日
テーマを設定しなおした。
つかれた〜

そして、この日記は「指定しない」

・・・・

なんにもしない

2006年9月25日
何にもしない休日を過ごす。
だらだらの3泊4日。

明日から

2006年9月21日
明日仕事の後一度家に帰ってから、旅行に行きます。
彼は仕事で一足先に現地入り。
そのあと3泊する予定です。
今回はごんすけはいっしょに行かれない。
いちばんがっかりなのは彼なのでした。
ちょっと考えることがあったのです。
このまま、彼との間であった出来事を、書いて行くことはいかがなモノなのかしら?と。
このまま二人でただ休日をいっしょに過ごす。
先も見えず、変化もしなくて、
「今日はこんなことがありました。」
「こんなこと彼に言われちゃいました。」
「彼のこんな一面を発見しました。」
そんなことばかり繰り返すことに、なんだか恐怖を感じたのです。
だから、しばらく書かずにいました。

けれど、劇的に変ることもあるけど、気がつくとこんなことになっていたなんてことの方が多いんだなあと実感しています。
彼のママとの約束は7時。
彼とは、その少し前に会って一緒に待ち合わせに向かうことに。
彼には事前に情報をもらった。というか、注意事項。というか
「昔の人だから、凝り固まった自分の考えがあって、絶対に曲げないし、兄弟もみんなやれやれと思ってるんだから。失礼なことも言うかもしれない・・・というか言うと思うけど、気にしないでね。」と。
私のことも、このくらいのことは話してあるよと教えてもらって、待ち合わせ場所に向かった。

おすし屋さんに連れて行ってもらって、ビールも一杯いただいて、1時間余り。
彼ママは、「じゃあ私は先に帰ってるから」と、彼を残して駅に向かって姿を消しました。

二人で、もう一軒。
「お疲れさまでした。緊張した?」彼は最初に言ってくれた。
「緊張したよ〜。大丈夫だったかな?でも、頑張ってくれてたよね。すごく安心した。」
きっと彼のほうが大変だったなぁと思った。

小1時間、テーブルの上のキャンドルの明かりの中で二人でホッとした雰囲気に包まれていた。
夕方、彼にメールを送った。
「一緒に食事をしませんか?」
この手のメールにはわりと早く返事が来るので、待っていたら母からメールが来た。
弟が奥さんと甥っ子を連れて食事に来るという。
なぁんだ。それなら彼と食事しなくてもいいや。なかなか来ない返事を待ちながらキャンセルのメールをいれようか迷っていたら、彼からのメール。
「今日はまだまだあがれない。明日ではどうですか?」
おー、願ったり叶ったりだわと思いつつも、仕方なく了解したようなメールを返して、甥っ子との楽しい食事を楽しみました。

彼らが帰って、嵐のあとの静けさを味わっていると、彼からメールをもらっていることに気がついた。
「明日なんだけど、お袋が出かける用があって、食事したいって言い出して、デートだって言ったら一緒にどう?って言われたけど、やだ?今電車の中、帰宅中。」
ひぇ〜一緒に?一緒にですか?・・・・「やだ」なんて、そんな滅相もない。
「少し前に、みんな帰りました。明日、大丈夫です。けど、いいの?すごく緊張するわ。」

明日、何着て行こう・・・どきどき。
筑紫哲也氏が言っていた。世界中の人があの時自分が何をしていたかを記憶している日だと。

2001.9.11

そう、あなたも私も、たぶんあの映像に釘付けだったに違いない。
そして翌年の9.11私と彼は最初に会った。
毎年、今日は何の日だと繰り返す私も私だけど、わかってて無視する彼も彼だと思います。お誕生日に続いてまた、振られた。

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