昨日仕事から帰ったら、母から封書が届いていた。
私宛にきた手紙を同封してあり、母からは一筆せんで手紙が入っていた。
届いたと電話をしたので、その時に入籍が延びるかもしれないと伝えた。
それを伝えたかっただけだったけど、母は、いろいろ言っていた。母が考えていることは私はよくわかるし、私も考えていること。けど一番根底に彼を好きな気持ちがあるので、線を引くみたいに割り切ったりできない。あんまり繰り返しのことになってきたので、食事の仕度をしなくちゃいけないからと、慌てたように電話を切った。
自分の思いを吐き出してしまったと後悔した。

食事中に彼と話をした。
お母さんのこと。
彼はどう考えたのか。
「いろいろ考えて仕事にならないよ」そう言っていた。
結論はでない。
でる訳ない。

途中でお母さんから電話が入って、頂き物のおすそ分けを彼がもらってきたので、お礼のメールを入れておいた。

しばらくして、私の携帯にメールが入った。
母からだった。
彼の前だったけど、読んでいるうちに涙が出てきた。
すると彼はびっくりして
「みせてくれないの?」と聞いてきた。
「大丈夫」と答えても
「大丈夫じゃないじゃない」と引き下がらない。
これはきっと、彼はお母さんからのメールと勘違いしていると思って、私の母からだから心配しなくていいと、subjectをみせていったら納得してくれたけど、内容は知りたいようだった。

そのあと、食事の片づけをしているうちにまた涙が出てきた。
彼は泣いてるの?と様子を見にきたけど、あんまり大泣きしているから退散していった。
そのままシャワーを浴びに行ってお風呂場でもたくさん泣いた。
まだまだこうやって心配をかけるていることに、とても心が痛かった。

*〜*〜*

今朝、また彼に話をした。

あなたはなぜ、お母さんに「報告」じゃなくて「お伺い」に行くの?

「家」のことだから。

「家」って何?

どういうこと?

守っていかなくちゃいけない家ってお墓のことじゃないの?

それだけじゃないでしょ?

じゃあ、何?○○家には、守る家訓とかあるの?

そうじゃなくて、家族でしょ?NaNaちゃんも含めてだよ。

あなたは「家」って言うけどお母さんの戸籍を出て、新しい戸籍を二人で作るんだよ。

わかってるよ。

あなたと私と2人でここに家庭を作って、2人でお母さんを守るんじゃないの?

そうだよ

家に入るって言ったって、三人で手を繋いでやっていくんじゃなくて、あなたと私が2人でお母さんや私の母を守っていくんじゃないの?

そうだよ

でも、あなたのやってることは、お母さんが私たちが作ろうとしている家庭の土台を壊すことを手伝っているじゃない。

どういうことか、わからないな

そう、弟もだけど彼もたとえ話が通じない。NaNa語だからかな。

お母さんは、私たちの土台を壊そうとしているのは、わかる?

わかるよ。

そう、それはわかっているのよね。
私に彼を盗られると思って、嫉妬して邪魔しようとしていることはわかっているの。

あなたのやっていることは、私たちがここに作ろうとしている家の土台を壊す道具を貸しているのよ。

道具って何?

二人で決めたことをお伺いを立てにいくこと

・・・・・・

彼はお母さんも含めてみんなが「良かれと思って言っている」と思っている。そりゃ、「自分のしたいようにしたい」だけだと思っていても、「あんたの為を思って」と枕詞がついていれば「お母さんなりに良かれと思って」言ってくるんだと思いたいんだろう。けど、もう、ああなってしまっては自分の立場を守るためだけに言っているのだ。男性にはわかりにくいのかもしれない。弟も祖母のそういうところは全くわからなくて、母と私が祖母をいじめているようにしか見えなかったらしいから。
「親の言うことを聞きなさい」と言って育てられた彼を、どうやったらお母さんに相談しないで決定できるようになるのかはわからない。
お母さんがいなくなったら、あなたは誰に相談するのかしらね。
本当の親は早く自分の足で立って、自分の足で立ってもちゃんとした判断ができる人間を育てるんだということに気がついてほしい。残念ながら彼のお母さんは自分の言うことを聞く人間を育ててしまった。
親はいつか先にいなくなるのに。

彼にはとても気分のいいことではないのはわかっているので、できれば避けたかったけど、このまま行ってももしかしたらもう、私は納得がいかないかもしれないから、思い切って昨日の本を渡した。
「一緒に読んでほしい本がある」と言って。
「あなたには実は『毒になる親』と言う本のほうを読んでほしいんだけど、それはすぐ手元に来なかったから」と添えて。
彼に伝わるかは、わからない。
私の結びの一番になるかもしれない。

お化粧をしようとして気がついた。
目、一重になっちゃってます。

彼の問題

2007年9月3日 二人の生活
入籍の件について、彼のお母さんからクレームが入った。
実はこのクレーム、妊娠がわかったときも入っている。
この時は、お母さんは妊娠は知らなくて、急に日にちを決めたのでもっともらしい理由を言って待ったがかかった。結局、お母さんの同意を得ずに動くことに難色を示す彼が、行動に移さないことで思いを遂げたのだけど、このとき私は彼と別れることを考えた。彼のお母さんの支配はこの先も続くのは想像に難くないし、それを彼が受け入れ続けるのなら、事態は変えられない。

でも、彼は「やっとここまで来たのだから」「もうちょっとだから」と言い続けて、私も彼と離れたくない気持ちがあったので、条件をたくさんつけて二人で決めた入籍の日にちをずらす事を受け入れることにした。入籍の日にちはお母さんが納得した9月。ちょうど2人の思う日にちが9月にあるからその日にすることにした。(この時のことを書こうと思っていたんだけど、状況が悪化したのでこんな簡単な書き方になってしまった。)

一度は納得した入籍をお母さんがまた、阻止しようとしている。
何度も彼は実家に行ってお母さんと話をしているのだけど、行くたんびにけんかになって帰ってくる。
それは、もう2ヶ月くらい続いている。

もともとは、お母さんが彼を、私を支配しようとしているところからきているんだけど。
彼には「親の言うことがきけないのか」といい、私に対しては「○○家に嫁いでくるのだから」と言っている。○○家と言ったって、要は彼と彼のお母さんのことなんだから自分の思ったとおりにしたいらしい。

彼はこの状況はよくわかっている。
彼のお母さんは誰を連れて来ても、結果は同じ事なのもわかっているのに彼は「みんなに祝福されて結婚したい」なんて言い出す。




無理だって。





私は前に書いたとおり、最初は彼が上手く立ち回ってくれれば、すべてのことは簡単に収集するはずだと思っていた。前の「長男なんでしょ?」のことは、そう思っていたから書いたこと。

でも、本当は別のところに問題があることに気がつきました。

彼が毎回お母さんとけんかしていることについて、私もとても気に病んでいるのでいろいろ調べているうちに1冊(2冊)の本にたどりついた。

「毒になる親」「毒になる姑」。

図書館で検索したら「親」のほうは予約している人が何人かいて、順番待ちになっているのだけど、「姑」はすぐに手元にやってきた。「毒になる親」が「毒になる姑」になるらしい。そりゃそうだ。斜め読みをしただけで充分に彼のお母さんが「毒になる姑」なのはわかって・・・と言うよりわかっていたからたどり着いたんだけど。

でも問題はそんなところじゃなくて、彼がその影響下にいることの問題を彼がわかっていないことだと気がついた。彼はその影響下にいることはわかっているし、それで困ったことになっているんだけど、「親だから」という理由でその影響から抜けだせないと、抜け出しちゃいけないと思っていることが、一番問題だと気がついた。まぁ、そう思い込んでいること自体が、影響を受けちゃっているんだけど。
ネットを彷徨っていると、その影響下から抜け出したいと思って、四苦八苦している人はいるんだけど、私はどうしたら、「抜け出したい」と思ってもらえるかが知りたい。

どうしたらいいんだろう。
ふ〜

ちょっと

2007年8月30日 日々
全然関係ないことを考えてみたりして。
私も状況も変らないのに、現実逃避。
横綱のモンゴル帰国。
日本に帰ってきたときに、とにかくすぐに一度「ごめんちゃい」って言わなきゃいけなかったのを、言いたくなくて言わずにすごしちゃって。
「解離性障害」の診断を受けて、病気の治療(怪我の治療らしいですが)を理由にモンゴルに帰っちゃった。
「ごめんちゃい」って一度言わなきゃすまないのは変らないわけで、むしろその後の経過や状況、すぐに事態を収拾できなかった理由まで説明しなきゃならない、立場的にはさらに厳しいところに立たされるのに、帰っちゃって日本に戻ってこられるのかしら?
きっと、このまま引退してモンゴルにいるのが一番いいんだろうなぁ。
今後の日本ではきっと、相撲協会にしても相撲ファンにしても、大目に見てもらうことはあまり期待できそうにないし、モンゴルで英雄として生きていったらいいんじゃないのかな。
相撲協会から離れれば、解離性障害もすぐによくなるだろうし、まだまだ力はあるから「強い」以上を求められる横綱より、強いだけでいい格闘家としてならもう一花咲かせられるでしょうし。
通し番号重複の領収書10枚=日付や使途、書き換え提出−玉沢氏代表の自民支部
8月29日21時32分配信 時事通信

 自民党衆院議員の玉沢徳一郎元農水相(比例東北)が代表を務める「自民党岩手県第4選挙区支部」(岩手県北上市)が、2003年分の政治資金収支報告書に、通し番号が同じ領収書のコピーを多数添付していた問題で、通し番号が重複している領収書が計10枚添付されていたことが29日、分かった。
 この収支報告書には、「010987」の通し番号が付けられた領収書のコピーが5枚、「010990」が3枚、「010991」が2枚の計10枚が添付されていた。
 添付された番号の重複する領収書は、日付の「9月25日」が明らかに「8月25日」に書き換えられた跡があった。このほか、交付先の欄と使途を書き込む「ただし書き」の欄で筆跡が異なったり、領収金額を書き換えたりしたとみられるものもあった


添付する領収書がコピーでいい

そう知ったときに、こんなことやるの当たり前、みんなそう思ってたでしょ?
だってそうじゃなければ、コピーの必要ないんだもん。

こんなことしてるの、この人だけじゃないでしょ?
これ、やりたかったから添付する領収書はコピーでいいことにしたんでしょ?

吐き出す作業

2007年8月28日 日々
その時の気持ちに、気分に任せて勢いで書かないと、またあの時の気持ちをなぞるのはつらい。

先日載せた身体のことも、思い出しながら、書きながら、読み直しながらとても厳しかった。

腹立たしさも、苛立ちも、つらさも、もう一度気持ちをなぞるのはとてもつらい。
「NaNaさん生理はいつ?」のあと、なかなか来ないなと思っていた。
彼は来週くらいじゃないの?とかとぼけたことを言っていたけど私は、来ないなと思っていた。
もしかしてと思って、夜ビールを飲むのをやめて、市販の判定薬を買ってきた。
1分待つと書いてあったけど、待つまでもなく陽性反応が出ていた。
彼にはそう告げて、翌日病院に行った。

診察室には、おじいちゃん先生が座っていた。
「妊娠していますよ。どうしますか?」と聞かれた。
もちろん産みたいといったらそのおじいちゃん先生は
「年齢のことはあるけど、大丈夫でしょう」と言ってくれた。
大病院ではないのはちょっと心配だけど、高リスクの出産希望にすぐ「大丈夫」と言ってくれたのがなんだか安心した。ここで初めて「おめでとうございます。」と言われてちょっと照れくさくなる。
次の診療は二週間後に来てください。そういわれて、病院を後にした。

彼に報告すると、こっちがびっくりするくらい喜んでくれた。
私は、不安がいっぱいでうれしいより不安。
今にもお母さんに言いそうだったから、次の診察でいろいろわかるから、検査とかもその時にするから、それまでは待っていてほしいといった。
彼はしぶしぶわかってくれた。
あきらめ切れなくて、翌日も何度も「言っちゃダメ?」と聞いてきたけど。

彼の喜びに比べて、私のほうは嬉しさより不安が大きかったから、彼は「NaNaちゃんはうれしくないの?」と何回も聞いてきた。自分はとっても嬉しいのに私がちっとも嬉しそうじゃないと思っていたみたい。

妊娠がわかってすぐに、食事の仕度をしようと冷蔵庫を開けただけで気持ち悪くなった。
食事の仕度ができない。
怠け病かと思った。だって出来上がってるものは食べられるんだもの。
仕事にはちゃんと行っていたけれど、お弁当は作れない。
出来上がってるものは食べられるから、お昼は買って食べていた。
それでも、おいしいと思って食べられるときは少ないので、涙が出てきてしまうこともあった。
まずいと思って食べ物を口にするのってとってもつらい。
吐き気はないから、楽なほうなのかもしれないけれど、このまずい食事がいつまで続くのかと思うと、本当に悲しい気持ちになってきていた。
どんなときでもおいしいと思って食べられるのはフルーツだけだった。
彼は、そんなのいくらでもないんだから、好きなものを買っていいんだといってくれた。
次の診療日まで、10日あまりつわりにくるしんでいた。

二週間後にと言われたその日。
先日の病院に行くと、今度は若い先生だった。
おじいちゃん先生が良かったのに・・・。
診療の途中で「これが赤ちゃんの袋です。そして、たぶんこれがあかちゃん。この時期なら心臓が動くのが見えるはずなのですが、動いている様子はないみたいだね。今回は残念ですけれどたぶん流産です」といわれた。
そんなことを言われるなんて思ってもいなかったので、びっくりした。
先生は「お盆休みが控えているので、早めに手術をしたほうがいい。けれど、他の病院に行ったらもしかしてと思ってると思うから、もう一度日を改めてみてみよう。」という。
何がなんだかわからないまま、いろんなことを聞いて、同じことも聞いたけど、とてもわかりやすく答えてくれた。

自然に流れるのはいつになるか、わからないこと。
それを待っても、たぶん残ってしまうので手術は必要なこと。
手術には一日掛かること。朝入院して三時過ぎには退院できる。
全身麻酔で手術をすること。
翌日からは仕事もできること。
一週間くらいは出血があるけど、それ自体は心配ないこと。
次の子供は三ヶ月くらい置くのがいいこと。

妊娠がわかってから、いろいろ調べていたので、この時期の流産は赤ちゃん自身の問題で流産を避ける手段はないことも知っていたのだけれど、ついあの時あんなことを言ったからかなとか、思ったからかなとか、つわりがひどくてちゃんとした食事が取れなかったからかなとかいろいろ考えて、けど次の瞬間にちがうちがう、あかちやんに育つ力がなかったからだった・・・と思い直すことを繰り返していた。
妊娠がわかったときは、びっくりして、嬉しさよりも不安が大きかったので、自分では妊娠したことが嬉しくないのかなと思っていたけど、流産といわれるととても悲しい気持ちになった。

彼にはメールで最初に伝えた。
飲みに行くって言っていたけど、早く帰ってきて欲しかった。
けど、おそくになって帰ってきた彼に、先生に言われたことを説明して、そのときはちゃんと説明できたと思ったけど、終わったとたんに涙がたくさん出てきた。
彼は「NaNaちゃん、泣くところじゃないよ。次がんばろう。大丈夫だよ」と言っていたけど、私はその言葉に不満だった。「残念だったね」と言っても「これでいけるって思えたよ。次は大丈夫。」って返ってきて、それも不満だった。しばらく不満を抱えていたけど我慢してても仕方ないと思って、「泣くところだよ。ここは泣くところでしょ。まだおなかの中にいるのに、次なんて思えないよ。」と伝えた。「残念だったね」には「残念だったね」と言って欲しかった。

仕事の帰りに再度受診して、やっぱり心臓が動いていないことを確認(したのは先生だったけど)。
翌日手術することになって、先日よりも細かいことを教えてくれた。
翌朝診察開始時間より少し早めにつくように。
車や自転車など自分で操縦する乗り物には載ってこないように。
生理用ショーツとナフキンを持参すること。
夕食は何を食べてもいいけれど、朝は何も食べず、水も飲まないこと。
手順を少し説明してくれた。
付き添ってもらってもいいか聞いたら、二人部屋で相手があるので、一人で使えればいいけれどもし他の人がいたら、長時間男性がいることはできないといわれた。その晩に出産がなければその部屋は一人で使えるけどわからないからと。
アレルギーはないか聞かれて、採血をした。

一度家に帰ったけど、買い物を忘れていたので隣の駅で帰ってくる彼と待ち合わせた。
なんだか、外食したい気持ちだった。
いろいろ考えたけど、結局お弁当を買って家で食べることにした。
翌日の麻酔に心配があるけど、妊娠したかもと思ってからやめていたビールをちょっとだけ飲んだ。
おいしいとは思えなかった。
十分睡眠をとるようにいわれたけど、なかなか寝付けなかった。

手術の日。仕事を休んで彼がついてきてくれた。
診察室に入ったら「ご主人が付き添ってきてくれてるんですか?」と聞かれて「やっぱり二人部屋に人が入っているのでしばらくは大丈夫だけど、退院のときに迎えに来てもらって」と言われてがっかりした。
子宮口に器具を入れて、薬の作用で開くらしい。
「ちくっとしますよ」「入ってくる感じがしますよ」と声をかけてもらったけどこの時ものすごく痛くて終わった後もしばらく動けませんでした。
待合室で待ってる彼と部屋に入った。9時半くらいになっていた。
担当してくれた看護婦さんはとてもいい人だった。
器具を体に入れた痛みに耐えながら、看護婦さんがもってきてくれた入院着に着替えた。
人生初の点滴をした。針が体にずっと入っているってとっても違和感があって驚く。
皆平気な顔をして、点滴してるからもっとなんでもないことなのかと思った。
看護婦さんに、彼がいつまで部屋にいてもいいのかを聞いたら、ずっといて大丈夫だと言ってもらえて嬉しかった。
他には二時間くらいしたら手術をすること。点滴をしてるけど、トイレに行きたかったら行っても良いこと。終わったらしばらくして軽い食事が出るからそれまでは水も飲まないこと。を言われた。

ベッドに横になる私に、彼は夕べ録音したMD(いまどき)を聞かせてくれた。
小田和正「たしかなこと」
なんだか、泣きたくなったのをこらえていたら彼が
「この歌聴くと泣きそうになる」と言った。

11時少し前に看護婦さんが来て「そろそろ」といわれて一気に緊張する。
下着を取って、準備した生理用ショーツとナプキンを入れた袋を看護婦さんに渡した。
トイレに行くように促されて、点滴をしたままトイレに行くのも初体験。
出ると彼は一度外に行くと言う。
私は一時間くらいで部屋に戻れるから、戻ったら電話かメールをすることになった。

「分娩室」と書いた扉を開けて部屋に入った。
荷物を預けて、分娩台にあがった。
携帯のロックを解除しておかないと、もしかしてそんなこともできない状況だったら困る。
そう思って、看護婦さんに携帯を取ってもらった。操作をして戻してもらおうとしたら「手元においておく?」と聞いてくれたけど、眠っちゃったら近くにあっても仕方ないので、戻してもらった。

血圧を測って、普段はどのくらいか聞かれたので、結構低いと伝えたら「少し緊張してるみたいで高いかな、大丈夫ですよ。」と言われた。緊張しているのは自分でも十分わかっている。
「すこしリラックスする薬を入れますね。ちょっとぽわんとします。」
ネットで調べていたら、麻酔が効きやすいようにお尻に打つ筋肉注射がとても痛かったと、いろんな人が書いてあったので、びくびくしていたら、それを察知した看護婦さんが「知らないうちにやらないから大丈夫。やることは説明するから安心して。もう、他に針をさしたりはしないです。全部この点滴に入れますから。」と言ってくれて、ほっとした。

それまでは「分娩室」に二人だけだったのが、別の看護婦さんが顔をだして「準備はできましたか?」と聞いてきた。それに「これから○○(なんのことやらたぶん、そのリラックスする薬のことなんだなと思った)です。」
点滴にリラックスする薬を入れたらしいけど、緊張していてぽわんとなんかしなかった。
一度しまった扉が開いて、別の看護婦さんと先生が入ってきた。
余計に緊張してきた。
「緊張してるみたいです」看護婦さんが先生に伝えた。
「寝てるうちに全部終わっちゃうからね」先生はそういったけど、だからって緊張が解けるわけじゃない。

「麻酔いれますね。数を声に出して数えてください。い〜ち。に〜。って」

前日までさまよったネットの海で、8まで数えたけどとか、5までとか書いてあったのを思い出した。
「い〜ち。に〜。さ〜ん。」
「そうそう、いいですよ。つづけてね。」
「きゅ〜う。じゅ〜う。(あれ10までいっちゃったよ。)じゅ〜いち。じゅうに。」
なかなか変化が起きない自分の体にちょっと可笑しくなってきた。
「じゅ〜うく。にじゅう。」
22を数えたとき、よっぱらって気持ちよくなったのをとおりこして、目をつぶるとぐるぐるするそんな感覚になってきた。おっなんか変ってきたと思った。
「にじゅうさん。にじゅうし。」どこまでいくのかな。30までいけるかな。
そう思った次の瞬間には寝入っていたらしい。「にじゅうご」を数え始めた記憶もない。

何かの夢から覚めように思った次にはびっくりするくらいのおなかの痛さが襲ってきた。
もう何がなんだかわからなくて、寝返りを繰り返すだけ。
手術の片づけをしていた看護婦さんが「起きましたか。おわりましたよ。」と言っていたけど痛くて仕方なかった。「いたい」しかいえなかったと思う。
点滴の針を抜くから動かないでと言われてそれは気を使ったとおもう。
あんまり痛がるので「先生に鎮痛剤を使って良いか聞いてくるから。」と部屋を出て行った。
すぐに戻ってきた看護婦さんは、座薬の鎮痛剤を入れてくれた。
「五分くらいで効いてくるから。ここはせまいからベッドに行きましょう。」
そんなこと言われても、歩けるとは思えなくて、でもいちおう台からおりても、うずくまることしかできなかった。看護婦さんは「いたい」を繰り返していた私の肩を抱きながらさすって「大丈夫。がんばったね。すぐに薬効いてくるから。ベッドに行こう。」と言ってくれた。そうか、私はがんばったのかと思った。
抱えられるように廊下を挟んですぐ向かいの部屋に戻ると、看護婦さんは「携帯ここに置くね」と枕元においてくれた。やっぱり操作しておいて良かったと思いながら彼に電話をかけた。
「終わって戻ってきた。痛いの早く帰ってきて」
彼が何か言ったのかわからなかった。
すぐに彼は戻ってきてくれたのがわかったけど、痛いというわたしにむかって彼は口に人差し指をあてて「しずかに」と言ってきた。うるさくしてるつもりは全然ないけれど、できるならしてるわと思った。となりのベッドの人はどうおもったのか。
昨夜陣痛に苦しんでいたはずだけど、大げさなと思ったかな。
手術直後の痛みは、私にとってとてもひどかったけれど、今となってみれば「とっても痛かった」という言葉だけで、実感があまり伴いません。人によって生理痛が違うようなものかもしれないです。

ほどなくして、薬が効いてきたのか痛みが治まってきてすこしうつらうつらしていたのだとおもう。
「しずかに」と言った彼はずっと手をにぎっていてくれた。

痛みでぜんぜん気が回らなかったけれど、手術の前に看護婦さんに渡したショーツをはかされていた。
ナプキンもしている模様。

2時半ころに食事をもらった。
食べ終わったら着替えて、看護婦さんに呼ばれるのを待ってくださいと言われた。
おにぎりがふたつ。ぱりぱりの海苔が巻かれていた。
お吸い物とつけもの、ほうじ茶が一杯。
おしぼりで手を拭いて、おにぎりを手に取った。
おなかがすいていたわけじゃなかったのに、食べ始めると美味しかった。
そのときにやっと彼に「食事は食べた?」と聞いたけど「食べたよ。さっきも言った」と言われた。
そうか、聞いたのか。ぜんぜん覚えてないや。
久しぶりに食事がおいしいと思った。

おしんこもお茶も残らずいただいて、着替えてしばらくしたら呼ばれた。
ちょっとふらふらするけど、大丈夫。
診察室に入ると
「だんなさん迎えに来てくれてますか?家に帰ったら、ガーゼを抜いてください。薬が三種類。痛み止めと抗生物質と子宮を収縮させる薬です。食後に3回。五日分。全部飲んでください。本当は2日後に見るんだけど、お休みに入っちゃうから一週間後にきてください。出血はあるけど大丈夫。」
13,000円位をはらって病院を後にした。

病院を出てから、お世話になった看護婦さんにお礼を言い忘れたのに気がついた。
すごく良くしてもらったのに。

家について、言われたとおりガーゼをとる。
なんだか怖くて、何時間も違わないなら、退院するときにとってくれればいいのにと思った。
このときはじめて、持参したナプキンでなく医療用っぽいナプキンが使われていたのに気がつく。
これは肌触りが柔らかくてかなり快適だった。

薬を飲むときになって、ちゃんと説明を聞いたのに、鎮痛剤は痛くなければ飲まなくていいのか聞くのを忘れていたのに気がついた。全然頭が回っていなかったなぁとおもった。

先生に言われたとおり、生理が終わるころくらいの出血は続いた。
最終的に本当になくなったのは10日くらいかかりました。
手術の翌日は出血はなくて、私の体ってすごい頑丈?とかうぬぼれて、翌日から仕事ができるならとその次の日に車を運転したらとたんに出血しました。彼には「無理しすぎ。あたりまえ。NaNaちゃんは自分が手術したことを忘れてる。」といわれてしまい、せっかく彼が労わってくれているのに反省しました。

三日後くらいにはおなかがゆるくなって大変だった。
痛いわけじゃないけど、一時間か二時間おきにトイレに行きたくなってしかもとっても軟便。
そのせいで、おしりがかぶれてしまいました。
これは「子供のオムツかぶれとおんなじ?」と薬局に行ってシッカロールや「女性のデリケートな部分の痒みに」とかかかれた薬を買ってつけたりしましたが、あんまり効果なかったです。
彼は笑いながらも心配してくれてました。

赤ちゃんを抱いていたり、妊婦さんをみるととっても羨ましくなりました。
流産ですといわれたすぐ後くらいからつわりはなくなって、きぶんもさっぱり、ご飯が美味しく食べられることがとても寂しくなりました。
一週間は「残念だった」と言いながらすごした感じです。

一度、彼に「がっかりした?」と聞いてみたことがあります。
流産と知ったときから、彼は次は大丈夫って言ってみたり、結構さっぱりしてるようだったから、私が抱えている悲しさや失望感や喪失感を自分で感じるだけだったからです。
彼からは「ものすごくね」と返ってきました。その一言で私が感じていた気持ちを十分共有してくれていたことがわかったので、へんな言い方かもしれないけれどとても安心しました。そうだよね、あんなによろこんでくれていたんだから。
「とってもがっかりしたけど、今はもう前向きに考えてるよ。」と言っていました。
たしかに、妊娠できたことはとても幸せだと思う。
もしかしたら、私は子供を宿すことができないかもしれないと思っていたから、そういう意味でも安心しました。それは、彼も自分のことを同じようにおもっていたそうです。

妊娠がわかってすぐに誰かに言わなくて良かったね。
それは彼も思ってくれたようです。
皆ががっかりすることはないから。
あとからゆっくり報告するつもりです。

それから、流産がわかったとき、彼は無性に私の体を求めました。
妊娠してからはほとんどしていなかったので、それもあったのかもしれません。
私はそんな気持ちにならなかったので、彼は気持ちを抑えるのに苦労していました。
「こんなときにと思うかもしれないけど、ものすごくしたい。NaNaちゃんは、こんなときだからぜんぜんそんな気にならないんだと思うけど、たぶん、こんなときだからものすごくしたくなってるんだと思う。気持ちは一緒で、けど向かう方向が違うように出ちゃうんだね。自分でもふしぎなほどしたくてたまらない。」
彼の言葉はとても、とても心の中に奥深く入ってきました。
こんなときだからしたくないし、こんなときだからしたくてたまらない。
悲しいと、残念と思う気持ちは一緒だよ、そういってもらった気持ちにもなりました。
性別が違うって面白いなと思った。
もしかして、逆の人たちもいるのかしら?

一週間後診察を受ける。
夏休みだったので彼も一緒に来てくれたのだけど、診療所の休み明けだったせいか妊婦さんがたくさんいて、いたたまれなくなった彼は外で待っていてくれました。
経過は順調だと言われてとても安心した。
一ヵ月後に次の生理があるとのこと。
出血が止まったら何をしても大丈夫といわれました。
次の妊娠は3カ月位してからがいいといわれたけれど、それは心と体の両方が元に戻るころがそのくらいというだけで、もしその前に妊娠したとしても、今回の流産や手術の影響で、また流産になりやすいとか、奇形になるとかということは一切なく、もし流産になったとしてもそれは今回のことには一切関係がないと言われました。まあ、別にすぐに妊娠しても大丈夫だよ〜といわれたと思っています。
病理検査にまわしているけど、結果が出ていないので、もし何かあるようなら次の週に連絡するから、何もなければこのままでもう診療は必要ないと言ってもらって安心しました。
かぶれて大変だと訴えたら薬も処方してくれた。
彼に報告したら彼もとても安心していました。

ここに、載せようかとっても、とっても迷いました。秘密にだけ書いておくことは最初に考えました。
妊娠したとわかったときも、流産だと知ったときもネットの海をさまよいました。
医者の言葉も捜したけれど、経験した人の言葉はとても頼りになった。
人によっていろいろだと思うけれど、だからこそ、いろんなケース(それほど大差はなかったけれど)を呼んで心強かった。
だから、載せることにしました。
だれかが、これを読んでちょっと安心してくれるといいなと思います。
昨日の夜、布団に入ってから話をした。

だまってうなずいていたけど、途中で「あんなこと言われてるの黙って聞いてるなんて、あなたが言わせたの?って思っちゃうよ」と言ったときだけ怒ってた。「そんなことしない。そんなふうに思ってるの?」って。「思ってないけど、黙って聞いてるならあなたとの同意と思っても仕方ないと思うよ」といったけどわかってないなぁ・・・たとえは悪いかもしれないけど、『いじめに加担しなくても傍観してたらいじめてるのと一緒』って理屈なんだけどな・・・

彼の中では、お母さんは「年をとってるから古い考えで凝り固まっていて、決して変えない。反論したら何倍にもなって返ってくるから、言いたいだけ言わせておけばいい」と思っている。実際そうなんだろうけど。でも、年をとってるって言ったって私の母だって彼の母と二つしか違わないのにな。

わかったんだか、わかってないんだか。
どちらかというと、私の言ってることはわかったけど、私が思ってるようにするかは別と思ってるんだろうなぁ。まぁそれでいいけど。
とりあえず、「母親とお嫁さんが仲悪いのは旦那さんが一人で悪いんだよ」といっておいた。どの場面でも同じだけど、人間関係の調整は間に入る人の力量にかかっている。

「ドラマみたい」と笑っていたけど、そんな簡単な問題ではないからと釘もさしたつもりだけどささっていないだろうなぁ・・。

そして今朝例の手紙を彼がみつけた。
私は支度で手が離せなかったら、彼が読んでいい?と聞いてきたので、どうぞと言った。読みながら、「NaNaちゃんは読まないほうがいいかも」と言っていたけど、最後には「あなた宛なんだし、読んだら?読んだほうがいいよ。どう考えているのかわかるし」と言われた。

「この前の話の内容みたいなことなら、私は読まないほうがいいんじゃない?」と聞いても答えは同じだった。

さらに「もしそうなら、『気持ちもわかるし、心配してくれてるのもわかるけど、こういうことはしないで』と返してくれるのが一番いいんだけど」と言ったけど、やっぱり答えは同じだった。

「嫌われても仕方ないと思ってる」の一文かなと思う。
昨日の夜は私は「あなたの大事なお母さんは嫌いになりたくないのに」と言っていたから。
きっとこれでお母さんと私の仲がこじれても「だってお母さんが嫌われても仕方ないと思ってるって言ってたでしょ」って言うんだろうなぁ。
昨日の夜、ポストに何か入っているのを見つけた。
取り出して、開いてみるとお母さんから私宛の手紙だった。
先日の例の話をもう一歩踏み込んだ内容。
おまけに、何かお守りみたいなものも入れてあった。
少々怒りに震え、とりあえずその時は見なかったことにしようとして、全部を元に戻した。

いろいろ考えてみたけれど、やっぱりお母さんのこの行動や考えていることは、私にはどうにも許容しがたい。子どもの話はカップル同士のこと。
親の特権とでも思っているのだろうか。思ってるんだろうなぁ。
彼はお母さんの所有物じゃないのに。所有していると思ってるんだろうなぁ。
おまけに、私の所有物の息子の相手も私のものとかおもっちゃってるんたろうなぁ。

今日は彼とよくよく話をしてみようと思っている。

けど・・・

今日彼は飲み会。
しかもサッカー。

でも・・・
話をしなくちゃ。
お母さんのことを変なふうに言わずに、話をするのってどうしたらいいんだろうか。
うまくできるか心配。
彼は私が、よく怒るようになってきたと思ってる。
実際、怒れちゃうことがあるから、そう思ってるだろうなと思うけど。

最近の彼は私によく聞く

「大好きなの?」

私の答えは決まっている。
けど、きっと彼は私の心が彼から離れてしまっているんじゃないかと感じるんだとおもう。

今までになくぷりぷりしていることも多くなったから。

もうっっ何なのよ!
と思うことはあっても、大好き。

それが行ったり来たりして、一緒に暮らすって面白い。

とくい?

2007年7月19日 二人の生活
夕食のとき、彼がいきなり
「NaNaちゃんは、煮物に自信があるの?」と聞いてきた。

へっ?
いや、特別自信があるわけじゃないけど。多いかしら。

彼は、普通家庭ではフライが多いんじゃないかと言う
いや〜どうなんでしょう?
この前友達と話したときは、家では揚げ物はしないって言ってたけど。

煮物が多いのは、簡単だからなんですけど。
というより、きっと彼がフライが身近なように、私にとって煮物って身近なんだろうなぁ。
おばあちゃんが居たから煮物は多かったのかも。

彼の家でフライが多かったのはきっと、お母さんが夕食の仕度をして仕事に出かけて、帰って来た子どもたちで食べる魚メニューとしては手軽だったんじゃないのかな。子どもたちで食べるのに、きっと煮魚よりフライだよね〜。

いろいろ、取り混ぜてメニューを考えているはずなんだけど、「多い」とおもうメニューがあったのがちょっと残念。
とりあえず、実家に戻ることもなくなりました。
彼からは「子どもはほしいけど、できなかったら仕方ないね」と聞きました。
彼には「あなたがしっかりしてくれないと、お母さんと私、仲良く出来るものもできなくなる」といいました。

*〜*〜*

昨日は怒りの任せて、いろいろ書いたのを少し書きすぎたかもとも思ったけれど

まあいっか。

ついでにもうひとつ彼のお母さんに言いたいの。

彼は大事な長男なんでしょ?って。
彼のお父さんだけが入っている、彼が立てたことになっているお墓。
それを息子の彼に男の子ができないなら、娘の二男にと思っているって言っていた。
それを彼にも承諾してもらっていると言っていた。

それっておかしいでしょう。
じゃあ、お母さんがそこまで段取りしたのなら、お母さんがなくなったときは、まだ小学生のその二男が喪主になって取り計らうの?ちがうんでしょ?
彼がやるんでしょ?
だったら、すべてを「長男」の彼に任せればいいのに。
彼に次を任せて、彼は自分の後は自分で考えるのよ。
「長男」の彼をないがしろにするようなことを、言ったりやったりしちゃダメなんじゃないの?
ちゃんと考えられる「長男」を育てたんでしょ?
それに、その二男クンだって困っちゃうでしょ。
二男クンがもっと大人になって、彼から後をお願いしますというのが順番なんじゃないの?

まったく、考えてることと、やってることがむちゃくちゃ違うんだから。

母が言ってる。
「お墓なんて、自分の身近な人が入っているからお参りに行くのよ。どんなに長くても自分がなくなって50年かそこいらのことよ。うちで言ったら弟の子がいなくなったら、来る方も来られるほうも知らない人なんだから。今は孫に男の子がいるけどその後のことは全くわかんないんだから、残った人たちが上手くやっていってくれるのよ。私が考えたって仕方ないの。入っちゃったら自分はなあんにも出来ないの。」

少し前に母はお墓を買った。自分の入るお墓を買った。
少し高くてもお参りのしやすい、身近なところに。
ずっと散骨でお願いって言っていたのに、突然買ったからびっくりした。
でも、それも「これであなた達が安心でしょ?」って言ってた。
「私が亡くなってはじめてお墓どうする?ってことではとっても大変だものね。」

私は母の考えは、とてもシンプルでいいと思っている。
彼のお母さんが言っているお墓だって、先祖代々つながっているんじゃない。
今は彼のお父さんだけが、入っている。
今の状況でいろいろ考えたって、変わってくるんだから。
二男クンが旧家の一人娘と恋に落ちて、婿養子に入りたいって言うかもしれない。
私たちにできた子どもが女の子で、けどその子に男の子が生まれて、その男の子が継いでくれるのかもしれない。
お姉さんのところの今はまだちっちゃい女の子が「私に任せて」って言ってくれるかもしれない。
継いだって、だれもお墓参りもしてくれないならそれこそ意味もないし。

大丈夫。
とりあえずは長男の彼に任せておけば、上手くやってくれるよ。

お盆

2007年7月17日 二人の生活
お盆のうちに、一度実家に行くと彼が言っていたので、一緒にうかがった。
そこで、いきなり言われた。
「NaNaさん、生理はいつ?」
えっ?
驚いたけれど、親としては心配なことでもあると思うし、彼は一応長男だし
お父さんが入っているお墓もあるし、まぁ気持ちはわかるわと思ってこたえた。

「子どもはほしくないの?」

そりゃ、ほしいけど年齢的にももうそろそろ、リミットは近づいてきている。
「いらないとは思ってないけど、ほしいと簡単には言い切れない。」ことを伝えたら

「息子にも聞いたけれど息子はほしいといっているのを私ははっきり聞いたのよ。あなたは?あなたはどうなるかわからないけど、家にはお墓があるし。息子に子どもができないなら娘の二男にとも思ってるのね、息子もそれは仕方ないといってたけど、跡取り必要なのよね。」

そして基礎体温について、体温計についていろいろ言いはじめたので、カチンと来て

「知ってます。今は測ってないけど、前は測ってたし機能的にも問題ないと病院で言われてます。」

それでもさらに話は続く・・・
「あなた、夕食のときにアルコール飲むでしょ。それも控えたほうがいいと思うの。蓄積するし。」

なんか、いろいろ言われたところで、彼がそろそろ帰ると言って話は切りあがった。
何日か前に、一人で実家に行った彼が、お母さんの話でヘロヘロになって帰ってきたことがあった。
「何度も同じ事繰り返すし、いやんなっちゃうよ〜」と言っていたから、きっとその時もこの話で、内容がひととおりめぐったところで切り上げたに違いない。彼のお母さんもひととおり話さないと気がすまなかっただろうし。

私はそうとう頭にきていた。
そこにきて帰りがけ、彼が
「NaNaちゃん今日からビール飲めないね。俺は飲めるけど」ときた。
そうくるか。そうくるのか。
何もこたえずに一瞥して部屋に入り、食事の仕度を始めた。
悪いけど、話したくもない。

籍も入ってないのに墓の話もないもんだ。
順番の違うこの親子にあきれて、彼には愛想が尽きたかも。
3年位前に私が「子どもがほしいな」といったとき、
彼は「NaNaちゃん一人で育てるの?」と言ったことがあるのだ。
やっぱり、ちょっと待つのは「子どもができるの」をなんじゃない。

ここまで時間がかかったのは私が原因じゃない。
彼一人のせいなのだ。
もっと前にこうなっていたら、何年でも今より猶予があったのに。
この期に及んでどんな希望なんだか。

あんまり悔しくて、ばかばかしくて夜も眠れなかったけど
明け方目覚めてそれからも眠れなかった。
母に「戻ることになるかもと言わなくちゃなぁ」と思っていた。

午前中に母からメールを受信。
「元気?」という内容だったけどタイミングがよくて、何かを送っちゃったかしらと思った。

まだ私の母には何もいってないけど
今日は決戦になりそう
子どもは授かるのですから、いろいろ考えたって仕方がないと思っています。
何年も不妊治療をしていたけれど、あきらめたとたん自然に授かる話もよくききます。

彼のお母さんは「欲しいと思わないとできない」と言っていたけれど、欲しいと思ってできるなら不妊で苦しんでるご夫婦はいなくなり、欲しいと思わないとできないなら、中絶だってしなくてもいいのです。

それよりも、彼が私とどうしたいのかをちゃんと聞かなくちゃ。
子どもができないなら別の人を探すのか。
どんなときでも私といたいと、そう思ってないのなら、これ以上努力する必要はないのかもしれないとも思います。
子どもができても、ちゃんと一人前になるまで育つのかもわかりません。幼い子どもを亡くして、夫婦が壊れてしまうこともあります。
お母さんはお墓のことを考えているのだから、男の子じゃないとと思っています。
子どもができて、けど女の子だったら?いらないの?

墓なんて自分が入るところだけ心配してればいいのです。
入っちゃった後は、残った人たちがやるんだから、いくら自分で仕切ったってムダムダ。

変にいろいろな人を傷つける考えを、押し通そうとするといざというときに、誰の助けも得られなくなるのにと思ってしまう。

彼のお母さんは、お姑さんが厳しい人で、大変苦労したといっていたし、若くして旦那さんを病気で亡くして、さらに苦労をしていると思うけれど、人と人とのごたごたは、たぶん私の見てきた母の経験だって、それなりだと思う。

「自分でできないことは、口をださない」

それが本当はいちばん良い。
誰も傷つけないし、自分もソンをしないのに。
今いろいろ達者でも、そのうち一人では何もできなくなるのに。

母の実家は男の子は早死にで、長男から順番になくなりました。
長男はまだ幼い時に、二男は二十歳を過ぎてから、三男はそれでも35歳まで生きて子どもを授かりましたが、女の子ばかりでした。
祖母はお嫁さんと折り合いが悪くて、私からしたら意地の悪いことを言っていたので、結局お墓はたぶんお嫁さんが入っておしまいです。
祖母がお嫁さんにあんな扱いをしなければ、お嫁さんは娘のうちの一人は名前を継ぐ方向で考えたかもしれません。けどあんなんじゃ、残す必要はないわ〜と思われても仕方ないでしょう。
どのみち普通ならば順番に逝くのです。
自分が死んだ後のことを心配したってしょうがないのにとおもう。

朝の支度

2007年7月13日 二人の生活
朝は、出かける一時間前に一緒に起きて仕度を始めて
私は朝ごはんをたべつつ、お弁当をつくり一緒に出かけます。

私のなかでは最初の20分で髪と顔を、
その後30分で食事とお弁当を作って
残りの10分で歯磨きと着替えをするのが、一時間の配分。

毎日同じ時間でやりくりしているのに、彼は残り時間が20分を過ぎた頃から
「NaNaちゃん、今日は一緒に出られないんじゃない?大丈夫?」と聞いてきます。
私があわてて時間をきくと、予定通り。
窓を閉めたり、ゴミを集めるのを手伝ってもらうことはあっても、
ちゃんと同じ時間に出かけられます。

今朝も最後にもう一度鏡の前に座ったときに
「NaNaちゃん、相変わらず追い込みがすごいね。ちゃんと間に合うもんね。」と言われた。

ダンスの先生にも同じようなことを言われたことがある。「NaNaちゃんの中には計算機が入っていて、なんだかわからないけど、間に合ってる。最後にちゃんと辻褄があってる。」って。

きっと「そんなにのんびりしてて、大丈夫なの?」とかいっつも思われてるんだろうなぁ。

そういえば以前弟に「ネェちゃんって、いいよね。大変大変!時間がない!って言ってるけど、口ばっかりで、ぜぇぇぇんぜん慌ててないもんね」と言われたことがある。そのときは自分ではものすごく慌てているので驚いたけれど、私はのんびりしているみたいに見えるんだなぁ。っていうか、きっとのんびりしているのに、間に合うのが不思議なんだね。

けど、そういう彼は着替えるだけで30分もかけてる。朝トイレに何度も行くのも一緒に住み始めてからわかったこと。私が仕度を終えるのを待っているようで、彼のほうがよっぽど仕度に時間がかかっているの。
彼も私もお酒好き。
夜ご飯の時には、ついついビールを・・・
家の中に空き缶を置いておくと、つられて寄ってくるものが居るので、毎日指定のゴミ捨て場においてあるコンテナに入れている。

以前、実家では缶はがさばるのでつぶして捨てていたのだけれど、ここでは「つぶさずに所定のコンテナに捨ててください」となっている。

各家庭一個ずつ割り当てられているコンテナは、集合住宅では複数個置いてある。ところが、このコンテナ、あっという間にいっぱいになっちゃう。二週間に1回の収集では間に合わな〜い。
前回の収集の時にはぎりぎりでいっぱいだったのが、今回はまだ何日かあるのに、空きのコンテナがなくなってしまっていた。つぶしてはいけない缶を、微妙につぶしてすこおしだけ、がさを減らす努力を、みんながしているもようですが、それでもいっぱいいっぱい。どうしたらいいかしら・・・と思っていたらだれかが(大家さんかしら)大きなビニールに入れてコンテナを開けてくれた。

家もだけど、みんな飲みすぎです。
だって缶のほとんどがアルコールの入った炭酸飲料水の缶なんだもん。
今住んでいる住宅は、普通の集合住宅で、私たちを含めて、6世帯が住んでいます。
私は今まで一軒家にしか住んでいなかったので、環境の違いが楽しい。
私だけではなくて、彼も生まれてから一度も集合住宅で暮らしたことがないので、下に人がいる部屋には住めないだろうと思っていました。意識したことはないけれど、たぶん歩き方とかも違うと思うもの。
で、今の部屋は1階です。

彼のお母さんは、二階は逃げる場所がないからあぶない、1階のほうが安全だと思っています。
なるほど、確かに祖母もよく裏手に逃げ場所を用意するようにというようなことを言っていたなぁと思い出しました。今はとくに女性の一人暮らしなどは、1階よりも高層を、好む傾向にあるようだと言ったら驚いていました。

引越しをしたときに、いろんな場面で顔を合わせる機会もあるはずだからと、一応同じ建物のお宅にはご挨拶をしようとしました。が、何回か伺っても、隣と真上のお宅だけは出てきてもらえませんでした。

1階のもう一軒は、小さなお子さんがいる3人家族で、よくお子さんの声が聞こえます。
先日道ですれ違ったとき、顔はわからなかったけれど、声で気がついてご挨拶しました。
なんだか自分でも可笑しかった。

真上の何回行っても、居るとわかっていて行っても出てきてくれないお宅は、ご夫婦で住んでいるのはわかっていました。
そのお宅が、とってもうるさいです。足音が。
どこを歩いているのかすぐにわかってしまうくらい。
最初は「にぎやかだね」なんて言って笑っていたんですけど、だんだん「うるさいね〜」とか、「起きだしたね〜」とか思うようになっていて、どんな人かもわからなかっただけに、なんだかなぁなんて思ってきていました。
けど、今月に入った頃から「きっと上の人のところにもビリーが来ているんだ!」ということにしました。ちょっとどたばたし始めたら「ビリーはじめたらしい。家もやらなきゃ。」とか言って笑ってたんです。すると、気にならなくなってきました。逆に誰か居るってわかって、なんだか安心する気にもなってきました。

今朝、出かける時間が上の人と同じになって顔を合わせてびっくり。
奥さんお腹が大きかった。もう、そろそろかなというくらい。
なら、どたどた歩くのも仕方ないかなぁとおもう。
あのお腹でビリー?すごすぎる。

ってちがうか。。。。

2ヶ月

2007年7月8日 二人の生活
二人で暮らして二ヶ月。
一緒に住むことが決まったとき、とりあえず生活を始めて、籍や式のことはあとからゆっくりと言うことになった。というか、あんまり急すぎてそうせざるを得なかった。
彼もとりあえず1〜2ヶ月やってみようよと言っていた。
別に子どもができたとかじゃないから、先に引越ししてからでも良いやとも思ったし。

そして、二ヶ月が過ぎた。
6月に彼の仕事で大きなイベントがあったから、その前に言ってもそれが終わるまでとかなんとか言われるに決まっていたから、それが終わってから切り出そうとした。

6月の末、食事の最中「ところで」、と話を始めた。

彼は、「せっかくここまできたんだから、あわててしないでもう少し落ち着いたらにしよう」「もう少し待って」「大丈夫」と言い出した。

はい?いまなんと?おっしゃいまして?

ここにくるときに、それらの話はあとから、1〜2ヶ月やってみてと言ってたでしょう?
もう2ヶ月たちましたけれど。
それに、私はあなたがやっていた大きな仕事が終わるのも待っていたんだよ。
ここまできて、引き伸ばす意味がわからないし、何のために待つのかもわからない。
どうして待つのか、何を待つのか教えてください。


「いや、だからもう少し待ってって言ってる。大丈夫。」

大丈夫って何が?何を待つの?

「もうちょっと落ち着いたらにしようよ」

もうこうなったら、同じ事しか繰り返さないのがわかっているけど。
しばらく無言で過ごして、つづいて話し始めた。

もし、子どもができるのを待つのだったら、もうやめる。

そんな事は言ってないよ。大丈夫。

けど、これ以上何かを待つのなら、それしか考えられない。それなら私はもうやめるから。

この日の話はこれで終わった。
腹が立つやら、悲しいやら、悔しいやらでこの後は口もききたくなかった。
長く付き合っていながら、それらしい話にできない彼に少々、いやそうとうあきれていたときに、今の生活に突入した。それだって彼の力ではない。
母に「あなたがこうなることを望んでいたのだから、よかったね。けど彼が動かないのはこの先も変わらないわよ」と言われていたのを思い出した。

*〜*〜*

翌日になって、彼から切り出したのか、私からだったのかは忘れてしまったけれど彼に

「ここまできて半年や一年のことは言ってない。1〜2月のことだよ。だから、大丈夫って言っている。」

と言われた。

そう、わかった。

「だから大丈夫って言ってる。もう少し落ち着いたらにしようよ。」

あのね、落ち着いたら落ち着いたらって言うけど、やらなきゃいけないことをしてないから、落ち着かないの。これらのことをやらないからなかなか落ち着けないんだよ。

そうか。

もう、ばかっっ!!!

そうです。なかなか落ち着かなくて、こっちが落ち着きたいよ!

そうか。

で、続いてちょっと具体的な話になった。
『一席』についてどんな風に考えているか。

あまり大きなことは考えてはいないこと。
弟がやったような何十人も集まってもらって、やりたいとは思っていない。

これは共通の考えだった。

ここからは私の希望。
家族だけでこじんまりとやることに異存はないけれどやっぱり、着るものは着たい。
着るからには写真だけとかはいや。
何かやりたいわ。

彼には何かって何とか、いまさら?とか言われたけどいまさらにしたのは彼だし、私はもっと早くにしたかったのに。

まあ、方向性が見えてきたのでこの日の話もこれで終わった。

*〜*〜*

そして一週間ほどして、彼が子どもの時から家族や親族で何かあるたびに使っていた場所のことを調べて、彼に見せた。

「何?だから、もうちょっと待ってって言ってるのに」

知ってる。けどこういうことは来週はどうですかってことじゃない。この前1〜2ヶ月って言ってたでしょう

「まあ、もう1、2、3、4?」

またそんなふざけたことを。1〜2ヶ月です。こういうのは大抵半年先、一年先のことなのね。1〜2ヶ月っていうのはもういまから考えていても決して早くないって言うか、そんなに急いでいるの?ってことなんだよ。いろいろ聞いたけど、とにかく1回来てみてください。と言われた。いってみようよ。

そうだね、言ってることわかるよ。けどそこじゃなくてもいいんじゃない?

わかるのなら、それはよかった。

うん、別に私はホテルでしたいとかここじゃなくちゃ嫌とかそういうのはないから、逆にあなたの家族で、しかもまだパパがいたときによく使っていたようなところはどうかな?と思ったの。

そうね、けどここじゃなくてもいいんじゃない?

だから。。。それに一度どっか行ってみないと、とっかかりもないし何をみたら良いのか何を考えたら良いのかわからないよ。

まあ、そうだね。けど、そこはたぶん比較的高いとおもうし、ちょっと探してみるよ

そう、わかった。

*〜*〜*

さらに先日。

しらべてくれた?

忙しくてしらべてないよ。

そう、わかった。けど、遅くなれば遅くなるほど、私の思い通りにするよ。

思い通り?

そう。あたりまえじゃない。引き伸ばして、さらにあなたの思い通りになんてなるわけないでしょ?どんどん大きなものになってくよ〜。もしかしたらもう家族だけじゃなくて近い友達も呼んでどんどん人数が多くなってるかもよ。

多く?そうなの?

そうかもよ。もう、本当にとにかく早く済ませて、落ち着きたいわ。

*〜*〜*

この話になると、私が怒りんぼになります。
最近怒ってばっかり。
私だって怒るのは嫌なのに。
金曜日の夜のことを思い出しては、そのたびに彼に
「昨日はありがとう。楽しかった。すごく楽しかった。」と言っていた。

しつこいと思ったかもしれないけれど、彼もそのたびに付き合ってくれて
「それはよかった」とか
「NaNaちゃん、すごく楽しそうだったよ」とか言ってた。

こんなに喜ぶなら、もっと頻繁に行こうかと思ってもらえたら、いいな。

晩餐

2007年7月6日 二人の生活
彼が食事に誘ってくれた。
本当に久しぶりの、二人での外食。
家の近くにある、割烹料理みたいなお店に行こうと話していた。

中に入ると、カウンターの席がほとんどの、こじんまりとしたお店だった。
店の前に張り出されていた、お勧めのコース料理を頼む。
お刺身からはじまって、注文した料理がタイミングよく出てくる。
お酒もすすんで、お腹いっぱいになって、最後に出てくる二人前のお寿司を半分お土産にしてもらった。
二時間くらい、楽しんで家路につく。
彼は「また来ます」なんて言っていた。

ほろ酔い気分で家に帰る途中で、お寿司をお母さんに食べてもらおうと相談して、電話をかけてみた。
「お寿司は大好き。お腹いっぱいでもたべちゃうわ」と言うのでもって行った。
彼が「あまったから、折にしてもらった」と言ったら「あまりなの?」なんてちょっと残念な口調だからちゃんと一人前あると告げると安心したようだった。
言い方って難しい。でも喜んでもらえてよかった。

最後のお寿司を二人前食べられないなら、今度はコースじゃなくて単品で頼んだほうが、安く済むかもしれないと相談した。またこのお店に行こうと思ってるのかな?

久しぶりに二人で外食して、とっても楽しかった。
ちょっと高いお店だったけれど、とっても楽しかった。

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