この一ヶ月 私のからだのこと
2007年8月24日 二人の生活 コメント (3)「NaNaさん生理はいつ?」のあと、なかなか来ないなと思っていた。
彼は来週くらいじゃないの?とかとぼけたことを言っていたけど私は、来ないなと思っていた。
もしかしてと思って、夜ビールを飲むのをやめて、市販の判定薬を買ってきた。
1分待つと書いてあったけど、待つまでもなく陽性反応が出ていた。
彼にはそう告げて、翌日病院に行った。
診察室には、おじいちゃん先生が座っていた。
「妊娠していますよ。どうしますか?」と聞かれた。
もちろん産みたいといったらそのおじいちゃん先生は
「年齢のことはあるけど、大丈夫でしょう」と言ってくれた。
大病院ではないのはちょっと心配だけど、高リスクの出産希望にすぐ「大丈夫」と言ってくれたのがなんだか安心した。ここで初めて「おめでとうございます。」と言われてちょっと照れくさくなる。
次の診療は二週間後に来てください。そういわれて、病院を後にした。
彼に報告すると、こっちがびっくりするくらい喜んでくれた。
私は、不安がいっぱいでうれしいより不安。
今にもお母さんに言いそうだったから、次の診察でいろいろわかるから、検査とかもその時にするから、それまでは待っていてほしいといった。
彼はしぶしぶわかってくれた。
あきらめ切れなくて、翌日も何度も「言っちゃダメ?」と聞いてきたけど。
彼の喜びに比べて、私のほうは嬉しさより不安が大きかったから、彼は「NaNaちゃんはうれしくないの?」と何回も聞いてきた。自分はとっても嬉しいのに私がちっとも嬉しそうじゃないと思っていたみたい。
妊娠がわかってすぐに、食事の仕度をしようと冷蔵庫を開けただけで気持ち悪くなった。
食事の仕度ができない。
怠け病かと思った。だって出来上がってるものは食べられるんだもの。
仕事にはちゃんと行っていたけれど、お弁当は作れない。
出来上がってるものは食べられるから、お昼は買って食べていた。
それでも、おいしいと思って食べられるときは少ないので、涙が出てきてしまうこともあった。
まずいと思って食べ物を口にするのってとってもつらい。
吐き気はないから、楽なほうなのかもしれないけれど、このまずい食事がいつまで続くのかと思うと、本当に悲しい気持ちになってきていた。
どんなときでもおいしいと思って食べられるのはフルーツだけだった。
彼は、そんなのいくらでもないんだから、好きなものを買っていいんだといってくれた。
次の診療日まで、10日あまりつわりにくるしんでいた。
二週間後にと言われたその日。
先日の病院に行くと、今度は若い先生だった。
おじいちゃん先生が良かったのに・・・。
診療の途中で「これが赤ちゃんの袋です。そして、たぶんこれがあかちゃん。この時期なら心臓が動くのが見えるはずなのですが、動いている様子はないみたいだね。今回は残念ですけれどたぶん流産です」といわれた。
そんなことを言われるなんて思ってもいなかったので、びっくりした。
先生は「お盆休みが控えているので、早めに手術をしたほうがいい。けれど、他の病院に行ったらもしかしてと思ってると思うから、もう一度日を改めてみてみよう。」という。
何がなんだかわからないまま、いろんなことを聞いて、同じことも聞いたけど、とてもわかりやすく答えてくれた。
自然に流れるのはいつになるか、わからないこと。
それを待っても、たぶん残ってしまうので手術は必要なこと。
手術には一日掛かること。朝入院して三時過ぎには退院できる。
全身麻酔で手術をすること。
翌日からは仕事もできること。
一週間くらいは出血があるけど、それ自体は心配ないこと。
次の子供は三ヶ月くらい置くのがいいこと。
妊娠がわかってから、いろいろ調べていたので、この時期の流産は赤ちゃん自身の問題で流産を避ける手段はないことも知っていたのだけれど、ついあの時あんなことを言ったからかなとか、思ったからかなとか、つわりがひどくてちゃんとした食事が取れなかったからかなとかいろいろ考えて、けど次の瞬間にちがうちがう、あかちやんに育つ力がなかったからだった・・・と思い直すことを繰り返していた。
妊娠がわかったときは、びっくりして、嬉しさよりも不安が大きかったので、自分では妊娠したことが嬉しくないのかなと思っていたけど、流産といわれるととても悲しい気持ちになった。
彼にはメールで最初に伝えた。
飲みに行くって言っていたけど、早く帰ってきて欲しかった。
けど、おそくになって帰ってきた彼に、先生に言われたことを説明して、そのときはちゃんと説明できたと思ったけど、終わったとたんに涙がたくさん出てきた。
彼は「NaNaちゃん、泣くところじゃないよ。次がんばろう。大丈夫だよ」と言っていたけど、私はその言葉に不満だった。「残念だったね」と言っても「これでいけるって思えたよ。次は大丈夫。」って返ってきて、それも不満だった。しばらく不満を抱えていたけど我慢してても仕方ないと思って、「泣くところだよ。ここは泣くところでしょ。まだおなかの中にいるのに、次なんて思えないよ。」と伝えた。「残念だったね」には「残念だったね」と言って欲しかった。
仕事の帰りに再度受診して、やっぱり心臓が動いていないことを確認(したのは先生だったけど)。
翌日手術することになって、先日よりも細かいことを教えてくれた。
翌朝診察開始時間より少し早めにつくように。
車や自転車など自分で操縦する乗り物には載ってこないように。
生理用ショーツとナフキンを持参すること。
夕食は何を食べてもいいけれど、朝は何も食べず、水も飲まないこと。
手順を少し説明してくれた。
付き添ってもらってもいいか聞いたら、二人部屋で相手があるので、一人で使えればいいけれどもし他の人がいたら、長時間男性がいることはできないといわれた。その晩に出産がなければその部屋は一人で使えるけどわからないからと。
アレルギーはないか聞かれて、採血をした。
一度家に帰ったけど、買い物を忘れていたので隣の駅で帰ってくる彼と待ち合わせた。
なんだか、外食したい気持ちだった。
いろいろ考えたけど、結局お弁当を買って家で食べることにした。
翌日の麻酔に心配があるけど、妊娠したかもと思ってからやめていたビールをちょっとだけ飲んだ。
おいしいとは思えなかった。
十分睡眠をとるようにいわれたけど、なかなか寝付けなかった。
手術の日。仕事を休んで彼がついてきてくれた。
診察室に入ったら「ご主人が付き添ってきてくれてるんですか?」と聞かれて「やっぱり二人部屋に人が入っているのでしばらくは大丈夫だけど、退院のときに迎えに来てもらって」と言われてがっかりした。
子宮口に器具を入れて、薬の作用で開くらしい。
「ちくっとしますよ」「入ってくる感じがしますよ」と声をかけてもらったけどこの時ものすごく痛くて終わった後もしばらく動けませんでした。
待合室で待ってる彼と部屋に入った。9時半くらいになっていた。
担当してくれた看護婦さんはとてもいい人だった。
器具を体に入れた痛みに耐えながら、看護婦さんがもってきてくれた入院着に着替えた。
人生初の点滴をした。針が体にずっと入っているってとっても違和感があって驚く。
皆平気な顔をして、点滴してるからもっとなんでもないことなのかと思った。
看護婦さんに、彼がいつまで部屋にいてもいいのかを聞いたら、ずっといて大丈夫だと言ってもらえて嬉しかった。
他には二時間くらいしたら手術をすること。点滴をしてるけど、トイレに行きたかったら行っても良いこと。終わったらしばらくして軽い食事が出るからそれまでは水も飲まないこと。を言われた。
ベッドに横になる私に、彼は夕べ録音したMD(いまどき)を聞かせてくれた。
小田和正「たしかなこと」
なんだか、泣きたくなったのをこらえていたら彼が
「この歌聴くと泣きそうになる」と言った。
11時少し前に看護婦さんが来て「そろそろ」といわれて一気に緊張する。
下着を取って、準備した生理用ショーツとナプキンを入れた袋を看護婦さんに渡した。
トイレに行くように促されて、点滴をしたままトイレに行くのも初体験。
出ると彼は一度外に行くと言う。
私は一時間くらいで部屋に戻れるから、戻ったら電話かメールをすることになった。
「分娩室」と書いた扉を開けて部屋に入った。
荷物を預けて、分娩台にあがった。
携帯のロックを解除しておかないと、もしかしてそんなこともできない状況だったら困る。
そう思って、看護婦さんに携帯を取ってもらった。操作をして戻してもらおうとしたら「手元においておく?」と聞いてくれたけど、眠っちゃったら近くにあっても仕方ないので、戻してもらった。
血圧を測って、普段はどのくらいか聞かれたので、結構低いと伝えたら「少し緊張してるみたいで高いかな、大丈夫ですよ。」と言われた。緊張しているのは自分でも十分わかっている。
「すこしリラックスする薬を入れますね。ちょっとぽわんとします。」
ネットで調べていたら、麻酔が効きやすいようにお尻に打つ筋肉注射がとても痛かったと、いろんな人が書いてあったので、びくびくしていたら、それを察知した看護婦さんが「知らないうちにやらないから大丈夫。やることは説明するから安心して。もう、他に針をさしたりはしないです。全部この点滴に入れますから。」と言ってくれて、ほっとした。
それまでは「分娩室」に二人だけだったのが、別の看護婦さんが顔をだして「準備はできましたか?」と聞いてきた。それに「これから○○(なんのことやらたぶん、そのリラックスする薬のことなんだなと思った)です。」
点滴にリラックスする薬を入れたらしいけど、緊張していてぽわんとなんかしなかった。
一度しまった扉が開いて、別の看護婦さんと先生が入ってきた。
余計に緊張してきた。
「緊張してるみたいです」看護婦さんが先生に伝えた。
「寝てるうちに全部終わっちゃうからね」先生はそういったけど、だからって緊張が解けるわけじゃない。
「麻酔いれますね。数を声に出して数えてください。い〜ち。に〜。って」
前日までさまよったネットの海で、8まで数えたけどとか、5までとか書いてあったのを思い出した。
「い〜ち。に〜。さ〜ん。」
「そうそう、いいですよ。つづけてね。」
「きゅ〜う。じゅ〜う。(あれ10までいっちゃったよ。)じゅ〜いち。じゅうに。」
なかなか変化が起きない自分の体にちょっと可笑しくなってきた。
「じゅ〜うく。にじゅう。」
22を数えたとき、よっぱらって気持ちよくなったのをとおりこして、目をつぶるとぐるぐるするそんな感覚になってきた。おっなんか変ってきたと思った。
「にじゅうさん。にじゅうし。」どこまでいくのかな。30までいけるかな。
そう思った次の瞬間には寝入っていたらしい。「にじゅうご」を数え始めた記憶もない。
何かの夢から覚めように思った次にはびっくりするくらいのおなかの痛さが襲ってきた。
もう何がなんだかわからなくて、寝返りを繰り返すだけ。
手術の片づけをしていた看護婦さんが「起きましたか。おわりましたよ。」と言っていたけど痛くて仕方なかった。「いたい」しかいえなかったと思う。
点滴の針を抜くから動かないでと言われてそれは気を使ったとおもう。
あんまり痛がるので「先生に鎮痛剤を使って良いか聞いてくるから。」と部屋を出て行った。
すぐに戻ってきた看護婦さんは、座薬の鎮痛剤を入れてくれた。
「五分くらいで効いてくるから。ここはせまいからベッドに行きましょう。」
そんなこと言われても、歩けるとは思えなくて、でもいちおう台からおりても、うずくまることしかできなかった。看護婦さんは「いたい」を繰り返していた私の肩を抱きながらさすって「大丈夫。がんばったね。すぐに薬効いてくるから。ベッドに行こう。」と言ってくれた。そうか、私はがんばったのかと思った。
抱えられるように廊下を挟んですぐ向かいの部屋に戻ると、看護婦さんは「携帯ここに置くね」と枕元においてくれた。やっぱり操作しておいて良かったと思いながら彼に電話をかけた。
「終わって戻ってきた。痛いの早く帰ってきて」
彼が何か言ったのかわからなかった。
すぐに彼は戻ってきてくれたのがわかったけど、痛いというわたしにむかって彼は口に人差し指をあてて「しずかに」と言ってきた。うるさくしてるつもりは全然ないけれど、できるならしてるわと思った。となりのベッドの人はどうおもったのか。
昨夜陣痛に苦しんでいたはずだけど、大げさなと思ったかな。
手術直後の痛みは、私にとってとてもひどかったけれど、今となってみれば「とっても痛かった」という言葉だけで、実感があまり伴いません。人によって生理痛が違うようなものかもしれないです。
ほどなくして、薬が効いてきたのか痛みが治まってきてすこしうつらうつらしていたのだとおもう。
「しずかに」と言った彼はずっと手をにぎっていてくれた。
痛みでぜんぜん気が回らなかったけれど、手術の前に看護婦さんに渡したショーツをはかされていた。
ナプキンもしている模様。
2時半ころに食事をもらった。
食べ終わったら着替えて、看護婦さんに呼ばれるのを待ってくださいと言われた。
おにぎりがふたつ。ぱりぱりの海苔が巻かれていた。
お吸い物とつけもの、ほうじ茶が一杯。
おしぼりで手を拭いて、おにぎりを手に取った。
おなかがすいていたわけじゃなかったのに、食べ始めると美味しかった。
そのときにやっと彼に「食事は食べた?」と聞いたけど「食べたよ。さっきも言った」と言われた。
そうか、聞いたのか。ぜんぜん覚えてないや。
久しぶりに食事がおいしいと思った。
おしんこもお茶も残らずいただいて、着替えてしばらくしたら呼ばれた。
ちょっとふらふらするけど、大丈夫。
診察室に入ると
「だんなさん迎えに来てくれてますか?家に帰ったら、ガーゼを抜いてください。薬が三種類。痛み止めと抗生物質と子宮を収縮させる薬です。食後に3回。五日分。全部飲んでください。本当は2日後に見るんだけど、お休みに入っちゃうから一週間後にきてください。出血はあるけど大丈夫。」
13,000円位をはらって病院を後にした。
病院を出てから、お世話になった看護婦さんにお礼を言い忘れたのに気がついた。
すごく良くしてもらったのに。
家について、言われたとおりガーゼをとる。
なんだか怖くて、何時間も違わないなら、退院するときにとってくれればいいのにと思った。
このときはじめて、持参したナプキンでなく医療用っぽいナプキンが使われていたのに気がつく。
これは肌触りが柔らかくてかなり快適だった。
薬を飲むときになって、ちゃんと説明を聞いたのに、鎮痛剤は痛くなければ飲まなくていいのか聞くのを忘れていたのに気がついた。全然頭が回っていなかったなぁとおもった。
先生に言われたとおり、生理が終わるころくらいの出血は続いた。
最終的に本当になくなったのは10日くらいかかりました。
手術の翌日は出血はなくて、私の体ってすごい頑丈?とかうぬぼれて、翌日から仕事ができるならとその次の日に車を運転したらとたんに出血しました。彼には「無理しすぎ。あたりまえ。NaNaちゃんは自分が手術したことを忘れてる。」といわれてしまい、せっかく彼が労わってくれているのに反省しました。
三日後くらいにはおなかがゆるくなって大変だった。
痛いわけじゃないけど、一時間か二時間おきにトイレに行きたくなってしかもとっても軟便。
そのせいで、おしりがかぶれてしまいました。
これは「子供のオムツかぶれとおんなじ?」と薬局に行ってシッカロールや「女性のデリケートな部分の痒みに」とかかかれた薬を買ってつけたりしましたが、あんまり効果なかったです。
彼は笑いながらも心配してくれてました。
赤ちゃんを抱いていたり、妊婦さんをみるととっても羨ましくなりました。
流産ですといわれたすぐ後くらいからつわりはなくなって、きぶんもさっぱり、ご飯が美味しく食べられることがとても寂しくなりました。
一週間は「残念だった」と言いながらすごした感じです。
一度、彼に「がっかりした?」と聞いてみたことがあります。
流産と知ったときから、彼は次は大丈夫って言ってみたり、結構さっぱりしてるようだったから、私が抱えている悲しさや失望感や喪失感を自分で感じるだけだったからです。
彼からは「ものすごくね」と返ってきました。その一言で私が感じていた気持ちを十分共有してくれていたことがわかったので、へんな言い方かもしれないけれどとても安心しました。そうだよね、あんなによろこんでくれていたんだから。
「とってもがっかりしたけど、今はもう前向きに考えてるよ。」と言っていました。
たしかに、妊娠できたことはとても幸せだと思う。
もしかしたら、私は子供を宿すことができないかもしれないと思っていたから、そういう意味でも安心しました。それは、彼も自分のことを同じようにおもっていたそうです。
妊娠がわかってすぐに誰かに言わなくて良かったね。
それは彼も思ってくれたようです。
皆ががっかりすることはないから。
あとからゆっくり報告するつもりです。
それから、流産がわかったとき、彼は無性に私の体を求めました。
妊娠してからはほとんどしていなかったので、それもあったのかもしれません。
私はそんな気持ちにならなかったので、彼は気持ちを抑えるのに苦労していました。
「こんなときにと思うかもしれないけど、ものすごくしたい。NaNaちゃんは、こんなときだからぜんぜんそんな気にならないんだと思うけど、たぶん、こんなときだからものすごくしたくなってるんだと思う。気持ちは一緒で、けど向かう方向が違うように出ちゃうんだね。自分でもふしぎなほどしたくてたまらない。」
彼の言葉はとても、とても心の中に奥深く入ってきました。
こんなときだからしたくないし、こんなときだからしたくてたまらない。
悲しいと、残念と思う気持ちは一緒だよ、そういってもらった気持ちにもなりました。
性別が違うって面白いなと思った。
もしかして、逆の人たちもいるのかしら?
一週間後診察を受ける。
夏休みだったので彼も一緒に来てくれたのだけど、診療所の休み明けだったせいか妊婦さんがたくさんいて、いたたまれなくなった彼は外で待っていてくれました。
経過は順調だと言われてとても安心した。
一ヵ月後に次の生理があるとのこと。
出血が止まったら何をしても大丈夫といわれました。
次の妊娠は3カ月位してからがいいといわれたけれど、それは心と体の両方が元に戻るころがそのくらいというだけで、もしその前に妊娠したとしても、今回の流産や手術の影響で、また流産になりやすいとか、奇形になるとかということは一切なく、もし流産になったとしてもそれは今回のことには一切関係がないと言われました。まあ、別にすぐに妊娠しても大丈夫だよ〜といわれたと思っています。
病理検査にまわしているけど、結果が出ていないので、もし何かあるようなら次の週に連絡するから、何もなければこのままでもう診療は必要ないと言ってもらって安心しました。
かぶれて大変だと訴えたら薬も処方してくれた。
彼に報告したら彼もとても安心していました。
ここに、載せようかとっても、とっても迷いました。秘密にだけ書いておくことは最初に考えました。
妊娠したとわかったときも、流産だと知ったときもネットの海をさまよいました。
医者の言葉も捜したけれど、経験した人の言葉はとても頼りになった。
人によっていろいろだと思うけれど、だからこそ、いろんなケース(それほど大差はなかったけれど)を呼んで心強かった。
だから、載せることにしました。
だれかが、これを読んでちょっと安心してくれるといいなと思います。
彼は来週くらいじゃないの?とかとぼけたことを言っていたけど私は、来ないなと思っていた。
もしかしてと思って、夜ビールを飲むのをやめて、市販の判定薬を買ってきた。
1分待つと書いてあったけど、待つまでもなく陽性反応が出ていた。
彼にはそう告げて、翌日病院に行った。
診察室には、おじいちゃん先生が座っていた。
「妊娠していますよ。どうしますか?」と聞かれた。
もちろん産みたいといったらそのおじいちゃん先生は
「年齢のことはあるけど、大丈夫でしょう」と言ってくれた。
大病院ではないのはちょっと心配だけど、高リスクの出産希望にすぐ「大丈夫」と言ってくれたのがなんだか安心した。ここで初めて「おめでとうございます。」と言われてちょっと照れくさくなる。
次の診療は二週間後に来てください。そういわれて、病院を後にした。
彼に報告すると、こっちがびっくりするくらい喜んでくれた。
私は、不安がいっぱいでうれしいより不安。
今にもお母さんに言いそうだったから、次の診察でいろいろわかるから、検査とかもその時にするから、それまでは待っていてほしいといった。
彼はしぶしぶわかってくれた。
あきらめ切れなくて、翌日も何度も「言っちゃダメ?」と聞いてきたけど。
彼の喜びに比べて、私のほうは嬉しさより不安が大きかったから、彼は「NaNaちゃんはうれしくないの?」と何回も聞いてきた。自分はとっても嬉しいのに私がちっとも嬉しそうじゃないと思っていたみたい。
妊娠がわかってすぐに、食事の仕度をしようと冷蔵庫を開けただけで気持ち悪くなった。
食事の仕度ができない。
怠け病かと思った。だって出来上がってるものは食べられるんだもの。
仕事にはちゃんと行っていたけれど、お弁当は作れない。
出来上がってるものは食べられるから、お昼は買って食べていた。
それでも、おいしいと思って食べられるときは少ないので、涙が出てきてしまうこともあった。
まずいと思って食べ物を口にするのってとってもつらい。
吐き気はないから、楽なほうなのかもしれないけれど、このまずい食事がいつまで続くのかと思うと、本当に悲しい気持ちになってきていた。
どんなときでもおいしいと思って食べられるのはフルーツだけだった。
彼は、そんなのいくらでもないんだから、好きなものを買っていいんだといってくれた。
次の診療日まで、10日あまりつわりにくるしんでいた。
二週間後にと言われたその日。
先日の病院に行くと、今度は若い先生だった。
おじいちゃん先生が良かったのに・・・。
診療の途中で「これが赤ちゃんの袋です。そして、たぶんこれがあかちゃん。この時期なら心臓が動くのが見えるはずなのですが、動いている様子はないみたいだね。今回は残念ですけれどたぶん流産です」といわれた。
そんなことを言われるなんて思ってもいなかったので、びっくりした。
先生は「お盆休みが控えているので、早めに手術をしたほうがいい。けれど、他の病院に行ったらもしかしてと思ってると思うから、もう一度日を改めてみてみよう。」という。
何がなんだかわからないまま、いろんなことを聞いて、同じことも聞いたけど、とてもわかりやすく答えてくれた。
自然に流れるのはいつになるか、わからないこと。
それを待っても、たぶん残ってしまうので手術は必要なこと。
手術には一日掛かること。朝入院して三時過ぎには退院できる。
全身麻酔で手術をすること。
翌日からは仕事もできること。
一週間くらいは出血があるけど、それ自体は心配ないこと。
次の子供は三ヶ月くらい置くのがいいこと。
妊娠がわかってから、いろいろ調べていたので、この時期の流産は赤ちゃん自身の問題で流産を避ける手段はないことも知っていたのだけれど、ついあの時あんなことを言ったからかなとか、思ったからかなとか、つわりがひどくてちゃんとした食事が取れなかったからかなとかいろいろ考えて、けど次の瞬間にちがうちがう、あかちやんに育つ力がなかったからだった・・・と思い直すことを繰り返していた。
妊娠がわかったときは、びっくりして、嬉しさよりも不安が大きかったので、自分では妊娠したことが嬉しくないのかなと思っていたけど、流産といわれるととても悲しい気持ちになった。
彼にはメールで最初に伝えた。
飲みに行くって言っていたけど、早く帰ってきて欲しかった。
けど、おそくになって帰ってきた彼に、先生に言われたことを説明して、そのときはちゃんと説明できたと思ったけど、終わったとたんに涙がたくさん出てきた。
彼は「NaNaちゃん、泣くところじゃないよ。次がんばろう。大丈夫だよ」と言っていたけど、私はその言葉に不満だった。「残念だったね」と言っても「これでいけるって思えたよ。次は大丈夫。」って返ってきて、それも不満だった。しばらく不満を抱えていたけど我慢してても仕方ないと思って、「泣くところだよ。ここは泣くところでしょ。まだおなかの中にいるのに、次なんて思えないよ。」と伝えた。「残念だったね」には「残念だったね」と言って欲しかった。
仕事の帰りに再度受診して、やっぱり心臓が動いていないことを確認(したのは先生だったけど)。
翌日手術することになって、先日よりも細かいことを教えてくれた。
翌朝診察開始時間より少し早めにつくように。
車や自転車など自分で操縦する乗り物には載ってこないように。
生理用ショーツとナフキンを持参すること。
夕食は何を食べてもいいけれど、朝は何も食べず、水も飲まないこと。
手順を少し説明してくれた。
付き添ってもらってもいいか聞いたら、二人部屋で相手があるので、一人で使えればいいけれどもし他の人がいたら、長時間男性がいることはできないといわれた。その晩に出産がなければその部屋は一人で使えるけどわからないからと。
アレルギーはないか聞かれて、採血をした。
一度家に帰ったけど、買い物を忘れていたので隣の駅で帰ってくる彼と待ち合わせた。
なんだか、外食したい気持ちだった。
いろいろ考えたけど、結局お弁当を買って家で食べることにした。
翌日の麻酔に心配があるけど、妊娠したかもと思ってからやめていたビールをちょっとだけ飲んだ。
おいしいとは思えなかった。
十分睡眠をとるようにいわれたけど、なかなか寝付けなかった。
手術の日。仕事を休んで彼がついてきてくれた。
診察室に入ったら「ご主人が付き添ってきてくれてるんですか?」と聞かれて「やっぱり二人部屋に人が入っているのでしばらくは大丈夫だけど、退院のときに迎えに来てもらって」と言われてがっかりした。
子宮口に器具を入れて、薬の作用で開くらしい。
「ちくっとしますよ」「入ってくる感じがしますよ」と声をかけてもらったけどこの時ものすごく痛くて終わった後もしばらく動けませんでした。
待合室で待ってる彼と部屋に入った。9時半くらいになっていた。
担当してくれた看護婦さんはとてもいい人だった。
器具を体に入れた痛みに耐えながら、看護婦さんがもってきてくれた入院着に着替えた。
人生初の点滴をした。針が体にずっと入っているってとっても違和感があって驚く。
皆平気な顔をして、点滴してるからもっとなんでもないことなのかと思った。
看護婦さんに、彼がいつまで部屋にいてもいいのかを聞いたら、ずっといて大丈夫だと言ってもらえて嬉しかった。
他には二時間くらいしたら手術をすること。点滴をしてるけど、トイレに行きたかったら行っても良いこと。終わったらしばらくして軽い食事が出るからそれまでは水も飲まないこと。を言われた。
ベッドに横になる私に、彼は夕べ録音したMD(いまどき)を聞かせてくれた。
小田和正「たしかなこと」
なんだか、泣きたくなったのをこらえていたら彼が
「この歌聴くと泣きそうになる」と言った。
11時少し前に看護婦さんが来て「そろそろ」といわれて一気に緊張する。
下着を取って、準備した生理用ショーツとナプキンを入れた袋を看護婦さんに渡した。
トイレに行くように促されて、点滴をしたままトイレに行くのも初体験。
出ると彼は一度外に行くと言う。
私は一時間くらいで部屋に戻れるから、戻ったら電話かメールをすることになった。
「分娩室」と書いた扉を開けて部屋に入った。
荷物を預けて、分娩台にあがった。
携帯のロックを解除しておかないと、もしかしてそんなこともできない状況だったら困る。
そう思って、看護婦さんに携帯を取ってもらった。操作をして戻してもらおうとしたら「手元においておく?」と聞いてくれたけど、眠っちゃったら近くにあっても仕方ないので、戻してもらった。
血圧を測って、普段はどのくらいか聞かれたので、結構低いと伝えたら「少し緊張してるみたいで高いかな、大丈夫ですよ。」と言われた。緊張しているのは自分でも十分わかっている。
「すこしリラックスする薬を入れますね。ちょっとぽわんとします。」
ネットで調べていたら、麻酔が効きやすいようにお尻に打つ筋肉注射がとても痛かったと、いろんな人が書いてあったので、びくびくしていたら、それを察知した看護婦さんが「知らないうちにやらないから大丈夫。やることは説明するから安心して。もう、他に針をさしたりはしないです。全部この点滴に入れますから。」と言ってくれて、ほっとした。
それまでは「分娩室」に二人だけだったのが、別の看護婦さんが顔をだして「準備はできましたか?」と聞いてきた。それに「これから○○(なんのことやらたぶん、そのリラックスする薬のことなんだなと思った)です。」
点滴にリラックスする薬を入れたらしいけど、緊張していてぽわんとなんかしなかった。
一度しまった扉が開いて、別の看護婦さんと先生が入ってきた。
余計に緊張してきた。
「緊張してるみたいです」看護婦さんが先生に伝えた。
「寝てるうちに全部終わっちゃうからね」先生はそういったけど、だからって緊張が解けるわけじゃない。
「麻酔いれますね。数を声に出して数えてください。い〜ち。に〜。って」
前日までさまよったネットの海で、8まで数えたけどとか、5までとか書いてあったのを思い出した。
「い〜ち。に〜。さ〜ん。」
「そうそう、いいですよ。つづけてね。」
「きゅ〜う。じゅ〜う。(あれ10までいっちゃったよ。)じゅ〜いち。じゅうに。」
なかなか変化が起きない自分の体にちょっと可笑しくなってきた。
「じゅ〜うく。にじゅう。」
22を数えたとき、よっぱらって気持ちよくなったのをとおりこして、目をつぶるとぐるぐるするそんな感覚になってきた。おっなんか変ってきたと思った。
「にじゅうさん。にじゅうし。」どこまでいくのかな。30までいけるかな。
そう思った次の瞬間には寝入っていたらしい。「にじゅうご」を数え始めた記憶もない。
何かの夢から覚めように思った次にはびっくりするくらいのおなかの痛さが襲ってきた。
もう何がなんだかわからなくて、寝返りを繰り返すだけ。
手術の片づけをしていた看護婦さんが「起きましたか。おわりましたよ。」と言っていたけど痛くて仕方なかった。「いたい」しかいえなかったと思う。
点滴の針を抜くから動かないでと言われてそれは気を使ったとおもう。
あんまり痛がるので「先生に鎮痛剤を使って良いか聞いてくるから。」と部屋を出て行った。
すぐに戻ってきた看護婦さんは、座薬の鎮痛剤を入れてくれた。
「五分くらいで効いてくるから。ここはせまいからベッドに行きましょう。」
そんなこと言われても、歩けるとは思えなくて、でもいちおう台からおりても、うずくまることしかできなかった。看護婦さんは「いたい」を繰り返していた私の肩を抱きながらさすって「大丈夫。がんばったね。すぐに薬効いてくるから。ベッドに行こう。」と言ってくれた。そうか、私はがんばったのかと思った。
抱えられるように廊下を挟んですぐ向かいの部屋に戻ると、看護婦さんは「携帯ここに置くね」と枕元においてくれた。やっぱり操作しておいて良かったと思いながら彼に電話をかけた。
「終わって戻ってきた。痛いの早く帰ってきて」
彼が何か言ったのかわからなかった。
すぐに彼は戻ってきてくれたのがわかったけど、痛いというわたしにむかって彼は口に人差し指をあてて「しずかに」と言ってきた。うるさくしてるつもりは全然ないけれど、できるならしてるわと思った。となりのベッドの人はどうおもったのか。
昨夜陣痛に苦しんでいたはずだけど、大げさなと思ったかな。
手術直後の痛みは、私にとってとてもひどかったけれど、今となってみれば「とっても痛かった」という言葉だけで、実感があまり伴いません。人によって生理痛が違うようなものかもしれないです。
ほどなくして、薬が効いてきたのか痛みが治まってきてすこしうつらうつらしていたのだとおもう。
「しずかに」と言った彼はずっと手をにぎっていてくれた。
痛みでぜんぜん気が回らなかったけれど、手術の前に看護婦さんに渡したショーツをはかされていた。
ナプキンもしている模様。
2時半ころに食事をもらった。
食べ終わったら着替えて、看護婦さんに呼ばれるのを待ってくださいと言われた。
おにぎりがふたつ。ぱりぱりの海苔が巻かれていた。
お吸い物とつけもの、ほうじ茶が一杯。
おしぼりで手を拭いて、おにぎりを手に取った。
おなかがすいていたわけじゃなかったのに、食べ始めると美味しかった。
そのときにやっと彼に「食事は食べた?」と聞いたけど「食べたよ。さっきも言った」と言われた。
そうか、聞いたのか。ぜんぜん覚えてないや。
久しぶりに食事がおいしいと思った。
おしんこもお茶も残らずいただいて、着替えてしばらくしたら呼ばれた。
ちょっとふらふらするけど、大丈夫。
診察室に入ると
「だんなさん迎えに来てくれてますか?家に帰ったら、ガーゼを抜いてください。薬が三種類。痛み止めと抗生物質と子宮を収縮させる薬です。食後に3回。五日分。全部飲んでください。本当は2日後に見るんだけど、お休みに入っちゃうから一週間後にきてください。出血はあるけど大丈夫。」
13,000円位をはらって病院を後にした。
病院を出てから、お世話になった看護婦さんにお礼を言い忘れたのに気がついた。
すごく良くしてもらったのに。
家について、言われたとおりガーゼをとる。
なんだか怖くて、何時間も違わないなら、退院するときにとってくれればいいのにと思った。
このときはじめて、持参したナプキンでなく医療用っぽいナプキンが使われていたのに気がつく。
これは肌触りが柔らかくてかなり快適だった。
薬を飲むときになって、ちゃんと説明を聞いたのに、鎮痛剤は痛くなければ飲まなくていいのか聞くのを忘れていたのに気がついた。全然頭が回っていなかったなぁとおもった。
先生に言われたとおり、生理が終わるころくらいの出血は続いた。
最終的に本当になくなったのは10日くらいかかりました。
手術の翌日は出血はなくて、私の体ってすごい頑丈?とかうぬぼれて、翌日から仕事ができるならとその次の日に車を運転したらとたんに出血しました。彼には「無理しすぎ。あたりまえ。NaNaちゃんは自分が手術したことを忘れてる。」といわれてしまい、せっかく彼が労わってくれているのに反省しました。
三日後くらいにはおなかがゆるくなって大変だった。
痛いわけじゃないけど、一時間か二時間おきにトイレに行きたくなってしかもとっても軟便。
そのせいで、おしりがかぶれてしまいました。
これは「子供のオムツかぶれとおんなじ?」と薬局に行ってシッカロールや「女性のデリケートな部分の痒みに」とかかかれた薬を買ってつけたりしましたが、あんまり効果なかったです。
彼は笑いながらも心配してくれてました。
赤ちゃんを抱いていたり、妊婦さんをみるととっても羨ましくなりました。
流産ですといわれたすぐ後くらいからつわりはなくなって、きぶんもさっぱり、ご飯が美味しく食べられることがとても寂しくなりました。
一週間は「残念だった」と言いながらすごした感じです。
一度、彼に「がっかりした?」と聞いてみたことがあります。
流産と知ったときから、彼は次は大丈夫って言ってみたり、結構さっぱりしてるようだったから、私が抱えている悲しさや失望感や喪失感を自分で感じるだけだったからです。
彼からは「ものすごくね」と返ってきました。その一言で私が感じていた気持ちを十分共有してくれていたことがわかったので、へんな言い方かもしれないけれどとても安心しました。そうだよね、あんなによろこんでくれていたんだから。
「とってもがっかりしたけど、今はもう前向きに考えてるよ。」と言っていました。
たしかに、妊娠できたことはとても幸せだと思う。
もしかしたら、私は子供を宿すことができないかもしれないと思っていたから、そういう意味でも安心しました。それは、彼も自分のことを同じようにおもっていたそうです。
妊娠がわかってすぐに誰かに言わなくて良かったね。
それは彼も思ってくれたようです。
皆ががっかりすることはないから。
あとからゆっくり報告するつもりです。
それから、流産がわかったとき、彼は無性に私の体を求めました。
妊娠してからはほとんどしていなかったので、それもあったのかもしれません。
私はそんな気持ちにならなかったので、彼は気持ちを抑えるのに苦労していました。
「こんなときにと思うかもしれないけど、ものすごくしたい。NaNaちゃんは、こんなときだからぜんぜんそんな気にならないんだと思うけど、たぶん、こんなときだからものすごくしたくなってるんだと思う。気持ちは一緒で、けど向かう方向が違うように出ちゃうんだね。自分でもふしぎなほどしたくてたまらない。」
彼の言葉はとても、とても心の中に奥深く入ってきました。
こんなときだからしたくないし、こんなときだからしたくてたまらない。
悲しいと、残念と思う気持ちは一緒だよ、そういってもらった気持ちにもなりました。
性別が違うって面白いなと思った。
もしかして、逆の人たちもいるのかしら?
一週間後診察を受ける。
夏休みだったので彼も一緒に来てくれたのだけど、診療所の休み明けだったせいか妊婦さんがたくさんいて、いたたまれなくなった彼は外で待っていてくれました。
経過は順調だと言われてとても安心した。
一ヵ月後に次の生理があるとのこと。
出血が止まったら何をしても大丈夫といわれました。
次の妊娠は3カ月位してからがいいといわれたけれど、それは心と体の両方が元に戻るころがそのくらいというだけで、もしその前に妊娠したとしても、今回の流産や手術の影響で、また流産になりやすいとか、奇形になるとかということは一切なく、もし流産になったとしてもそれは今回のことには一切関係がないと言われました。まあ、別にすぐに妊娠しても大丈夫だよ〜といわれたと思っています。
病理検査にまわしているけど、結果が出ていないので、もし何かあるようなら次の週に連絡するから、何もなければこのままでもう診療は必要ないと言ってもらって安心しました。
かぶれて大変だと訴えたら薬も処方してくれた。
彼に報告したら彼もとても安心していました。
ここに、載せようかとっても、とっても迷いました。秘密にだけ書いておくことは最初に考えました。
妊娠したとわかったときも、流産だと知ったときもネットの海をさまよいました。
医者の言葉も捜したけれど、経験した人の言葉はとても頼りになった。
人によっていろいろだと思うけれど、だからこそ、いろんなケース(それほど大差はなかったけれど)を呼んで心強かった。
だから、載せることにしました。
だれかが、これを読んでちょっと安心してくれるといいなと思います。
コメント
知りたい情報がいっぱいのってるけど、知らなくていい情報まで一緒に拾ってしまう。
私もネットでいろいろ調べたことがあります。
私はNanaさんがおっしゃるできにくいできないに近い方なんですが、もしもってときどうなんだろうって。
こうやって体験書いて書いてくださって感謝ですm(._.)m
気分の浮き沈みは激しくなっちゃうと思うけど、やさしい彼資産に見守られてNanaさんの体調も心配してくれて。
そしてしばらくは体も心も大事にして力あわせて頑張ってください☆Nanaさんならきっとコウノトリがまたやってきそうだから。
ありがとうございます。優しい言葉が心に染みます。
今回のことで、共感してもらえることが、いちばん慰められると、安心できるんだと実感しました。
もうすっかり元気だと思う反面、思い出して涙が出てくるひとがあるので、やっぱり時間薬なんですね。
まだ、書いてないことはいっぱいあるけど、この一ヶ月で彼との間がとても親密になった気がして、悲しいことがあったけれど幸せに思ってもいます。
実はつわり中、唯一フルーツがおいしく感じられたとき「Fruits」さんのことを思い出して、ひそかに心強く感じてました。
*〜*〜*
kitoriさん
コメントありがとうございます。
ネットの海は、恐ろしいこともいっぱいありますね。
波に飲まれちゃうことも、波間に隠れて、隠れてしかできないことをやっちゃう人もいるし、知らなくていい情報まで拾うこともあるって本当だなと思いました。
励ましの言葉とってもうれしいです。
読んで安心してもらいたいと思って載せたのに、配慮に欠ける部分があったと反省しました。