店で食事をしているとき、店内に流れている音楽の曲もメロディもわからないのに、反応してしまうときがある。ざわめく店内で、耳に神経を集中させても、音楽が流れているのがかろうじてわかるだけで、他には何もわからない。一緒にいる相手が、話の他にも集中しているものがあるのに気づく。「絶対にフミヤ君の声が聞こえる気がする。」二人で聞こえない音楽に耳を凝らして初めてわかる。
それは、もしかして学生のとき、みんなが同じジャージを着ているのに、好きな人はすぐに判ったことに似ているのかもしれない。
耳だけじゃない。
テレビ番組欄で、その文字に反応するのはもちろんのこと、変な文字列に無意識で反応している。
その言葉はないから、何に反応したのか自分でもわからなくて、探してみると縦横の文字の並びに「チェッ」とか「フミ」とか混じっていて苦笑いする。
日本語ってきっと、読むというより感覚で見る言葉なんじゃないかと思う。
最近「ハニカミ王子」に妙に反応している。
「ハンカチ王子」のときはまったくなかったのに。
それは、もしかして学生のとき、みんなが同じジャージを着ているのに、好きな人はすぐに判ったことに似ているのかもしれない。
耳だけじゃない。
テレビ番組欄で、その文字に反応するのはもちろんのこと、変な文字列に無意識で反応している。
その言葉はないから、何に反応したのか自分でもわからなくて、探してみると縦横の文字の並びに「チェッ」とか「フミ」とか混じっていて苦笑いする。
日本語ってきっと、読むというより感覚で見る言葉なんじゃないかと思う。
最近「ハニカミ王子」に妙に反応している。
「ハンカチ王子」のときはまったくなかったのに。
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