最期の時

2005年1月16日
昨日、おばから電話があった。
「おばあちゃんが・・・」

祖母は2年半前、20年暮らした家を出て車で15分足らずの伯母の家へ行った。
1昨年夏に体調不良を訴え(自分で肺癌だと診断していたらしいのですが)検査などは一応しましたが、なにぶん高齢のため、積極的な治療などは一切せずに暮らしており、昨年夏に「肺癌」と診断を下されそれから、2ヶ月くらいは入院していたりしましたが、在宅看護に切り替えて過ごしていました。

祖母が暮らしていた伯母と、母の仲はとてつもなく悪く(これも祖母が悪いのですが)これまで法事の知らせも何もかも、一切連絡は来なかったのですが、さすがにそれでは済まされないとその上の姉妹に言われて、家に連絡が来ました。
やはり近いのが幸いして、一番に駆けつけ見守っていました。
程なくしてついた医者に、もう最期の時を迎えつつあると言われて、親戚一同呼び寄せました。
ただ、その時は本人の体力のみぞ知る状態で、今晩が峠なのか明日なのかはわからないと言われていました。

昨夜は一度家に帰り、今朝また顔を見に行きみんなで祖母の寝る部屋に集まって、お話したりお茶を飲んだりしながら、代わる代わる祖母の周りを囲んでいました。
周りに人がいなくなったので、祖母のそばに行き、酸素の状態を機械で測ろうとして、上手く行かなくて、やっと測ったりしていて、ふと顔を見るとなんとなく呼吸の間隔が長くなっている気がして、今度は時計の秒針とにらめっこをしていたら。
呼吸自体に一瞬力がなくなったと思ったら次の息をしなくなりました。

「おばあちゃん、息してないみたい」

つぷやくように言うとみんなが、集まってきました。
鎮痛剤と睡眠薬を一定量身体に入れており、ずっと眠ったままの状態で痛みもなく本当に眠ったまま、そのままでした。
ひどく苦しむ事もなく、みなに見守られ、本人の望んだとおりの最期でした。

95歳。
けれど、祖母が一番恐れていたのは、癌と死でした。
私の車の後部座席に乗り、途端にシートベルトをして一人助かるつもりだよとみなに笑われたり、「身体に良い」と言われる事は端からためし、寝たきりになりたくないからと肋骨骨折も2週間ででふつうに動き出してたり、強い人だった。
診断こそ癌だったけれど、特有の症状にもほとんど苦しまず、多分老衰だったんだと思います。

おばあちゃん、よくがんばったね。

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